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「科学ジャーナリスト賞2006」発表されました

5月26日(金)、プレスビルにおいて日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ、小出五郎会長)が創設した、初めての「科学ジャーナリスト賞2006」が発表され、表彰式が行われました。表彰式では、アカデミー賞のような驚きがある演出ということで、プレゼンターである選考委員が、受賞理由を述べた後に受賞者を発表し、受賞者がその喜びを語りました。本レポートでは、当日の流れをそのままにお伝えします。

会場 小出会長の挨拶


選考委員会委員長のことば

柴田鉄治氏より選考経過の説明がありました。 「多忙な外部委員の方たちの協力が得られるなど、本賞は幸先のよいスタートを切ったので、これからJASTJ会員みんなでこの賞を育てていただきたいと思う」

選考委員会メンバー

外部委員:白川英樹(ノーベル賞受賞者)、黒川清(日本学術会議会長)、米沢富美子(慶応義塾大学名誉教授)、村上陽一郎(国際基督教大学教授)、北澤宏一(科学技術振興機構理事)
JASTJ委員
:小出五郎(会長)、武部俊一(副会長)、牧野賢治(理事)、高木靭生(理事)、柴田鉄治(理事)


1.ひとりめの科学ジャーナリスト賞

プレゼンターの米澤氏より、選考過程と、受賞者へのことばが述べられました。 「選考は楽しい作業だったが、今日の演出効果をあげるために秘密を守るのが苦しかった。日本では科学ジャーナリストの認知が低いことも原因のひとつだと思うが、日本の科学記事からは海外のように感銘を受けることがなかった。一人目の受賞者は科学ジャーナリストはこうあってほしい、という条件を満たしていた方だった。その条件とは、自分の足で情報を集めていること、そのテーマに取り組んだこと、長い期間にわたって追い続けたことの3点」

フリーカメラマン 中村梧郎氏
受賞理由:ベトナム戦争の枯葉剤被害から30年余も目をそらさず、追及を続ける報道姿勢に対して。

中村氏のことば

「私の執念深さで30年追い続けてきたが、まだ結論は出ていないと思っている。30年前、ベトナムのカマオ岬を訪れたとき、木がすべて枯れてしまっていて、これは、伝えなくてはならない!と思った。20年前くらいからダイオキシンのことがわかり始め、化学の勉強をしながら英語の文献と戦ってきた。名誉ある賞をありがとうございました」

枯葉剤の影響を30年追い続けている中村悟郎さん


2.ふたりめの科学ジャーナリスト賞

プレゼンターの北澤氏より受賞者へのことばが述べられました。 「選考ではいつも冷静な白川先生、米澤先生と熱く議論し、楽しい経験ができた。この方の本を読んでいると、小気味よいテンポ、次を期待させる語調に引き込まれ、哲学さえ感じさせられた。科学者がこういう心に残る本を書けるのかと感動した。筆者は私たちの体は自然と調和を保っており、これをくずすと自然からしっぺ返しを受ける。それが狂牛病であるということがいいたかったのだと思う」

青山学院大学教授 福岡伸一氏
受賞理由:分子生物学者として斬新な視点からBSEを分析し、一般向け科学書にまとめたことに対して


福岡氏のことば
「プリオン病の起こる不思議なメカニズムについてどこまでわかっていて、どこがわかっていないかを書いた。プリオン説はまだよく証明されていず、現在に至っている。私はこの経過の中に、科学のいろいろな側面(どのようにパラダイムシフトが起こっているのか、科学が科学であるための条件は何かなど)が含まれていると考えている。税金を使って研究をしているので、科学をわかりやすいことばでアウトプットしなくてはいけないと思っている。これを励みに頑張っていきます」



3.3人目の科学ジャーナリスト賞

高木氏より、3つめの科学ジャーナリスト賞は、同じテーマにテレビと新聞から取り組んだおふたりの方に贈られることが発表されました。
「クボタのアスベスト被害の記者会見が2005年6月末に行われた背景には、ジャーナストの活躍があった。当時はアスベストを使った水道管にも製造されていた時代。社員、地域住民に被害が広がり、クボタの発表をきっかけに関連企業も続々と発表した。アスベスト問題を長期間にわかって取材をし続けてきたおふたりのジャーナリストがおり、彼らの報道がこの記者会見を開かせたともいえる。ジャーナリズムが社会を動かすという重要な任務を果たした」

朝日放送アスベスト取材班、代表 石高健次氏
毎日新聞編集委員 大島秀利氏
受賞理由:アスベスト問題に粘り強く取り組み、住民被害の実態と救済を社会に訴えた報道に対して

高木審査委員よりトロフィーを受ける大島氏

大島氏のことば
「取材で会った人、電話をした人たちのことが今、思い出される。彼らがどんどん亡くなっていく中で、支援をされていた人たちの力に動かされて書いていた気がする。阪神大震災では、学生ボランティアが白いマスクをひたすら配っていた。アスベストを吸わないように5万枚配ったそうだ。また、水俣病の取材もしてきた。私自身は「疫学」ということばをキーワードに取材してきた。今回の取材では、初めは労災で亡くなる人だけだったが、亡くなる人の職種が広がっていき、それを書くと反響が起った。そういう連鎖の中で、科学的検証の必要を感じながら取材をし、報道の反響の大きさに自分自身、驚いていた。クボタの周りの患者は実質的保証について実質的合意に至っており、嬉しく思っているが、40年間に10万人死ぬという説もあり、これからも被害者は出るだろう。患者さんのお顔を忘れず取材を続けたい」

石高さんのことば
「ドキュメンタリー屋の感覚で、反科学的な仕事をしてきたのに、こういう賞を頂き驚いている。テレビでは相手の懐に入って、見えてくる真実や事実を明らかにする。相手にも、自分をさらけ出す覚悟がいる。取材の相手に、「ここまで私をさらけ出させて本当にいいものを作ってくれるのか」と要求されていると感じており、それに応えないといけないと思っている。今回は「いい仕事をしたんやね」といわれたと気持ちがして、非常に嬉しい」




4.科学ジャーナリスト大賞

白川先生から大賞の受賞者が紹介されました。 「科学ジャーナリスト賞の候補者を私自身でも考えていたが、選考委員になって推薦できなくなってしまった。「科学」のことばなしで科学技術を社会に伝える人を思い浮かべたら、その人が大賞になり、嬉しく思っている。インターネット普及の中で、今はブログが注目されている。受賞者のブログは2004年9月に始め、この5月に200万のアクセス突破したそうだ。長期にわたった理系の問題への関心を喚起した実績である。またブログでは科学技術に限らない豊富な話題を提供しており、多くのアクセスがあるのは、多くの読者をひきつけている証拠だ」

科学ジャーナリスト大賞 毎日新聞記者 元村有希子
受賞理由:ブログを含む「理系白書」の報道に対して


元村氏のことば
「息の長い仕事を評価していただき、とても嬉しい。毎日新聞の理科白書には、5年間で延べ16人の記者が関わり、私がその班長とブログの管理人を務めてきた。私は理系白書居酒屋の女亭主。文系、理系、男女に関係なく、一日に5000人の人が来てくださることが嬉しい。ブログを応援してくださった方たちは、これからは、どうか活字である新聞も応援してください。評価、コメントを下さった方、こういう環境を与えてくれた毎日新聞に感謝します」




喜びの受賞者 プレゼンターと受賞者のみなさん。フラッシュの合間


*科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)とは

本会議は、1992年11月、東京で開催された科学ジャーナリスト世界会議(41カ国の科学ジャーナリストが参加)開催がきっかけとなって、1994年7月に発足しました。新聞の科学部記者、研究者、ライターなど科学ジャーナリズムになどメディアの関係者ばかりか、教育機関、企業、科学館などに関わる人たちが会員となり、例会の開催、情報交換、イベント開催などを行っています。 URL:http://www.jastj.jp/



*科学ジャーナリスト賞(JASTJ賞)とは

科学ジャーナリスト賞は、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰します。受賞者は原則として個人(グループの場合は代表者。新聞、テレビ、ラジオ、出版に携わった人だけでなく、ウェブサイトや博物館での展示、書籍を著した科学者や科学技術コミュニケーターなども対象としています。


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