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シンポジウム「食と科学〜リスクコミュニケーションのありかた」

 2010年9月7日(火)、東京大学弥生講堂にて、「食と科学〜リスクコミュニケーションのあり方」が開かれました。第一部では講義、第二部はパネルディスカッションが開かれ、活発な議論が行われました。


特別講演1 「ヨーロッパの理想的なリスクコミュニケーション」
     I・ファン・ヘーステさん(元欧州食品安全機関コミュニケーション副部長・オランダ・トゥエンテ大学)

 EUでは、それぞれの国が基準を持って食品の安全確保をめざしているが、難しい作業で、BSEでは市民の信頼を失ってしまった。2002年には一般食品法を定め、農場から食卓まで食品の安全を確保し、消費者の利益を保護することを目標としている。同年、欧州食品安全機関(EFSA)が、食品の安全性の改善、消費者の信頼回復、貿易パートナーの信頼回復のために設立された。リスク評価、リスクコミュニケーションなどを行っており、消費者意識調査“Eurobarometer”を行ったところ、ESFAの政策、システムが適切に機能し、2002年以降、食品安全をめぐるパニックが起こっていないことがわかった。 2011年6月にはリスクコミュニケーション会議を開催し、食品をめぐるリスクコミュニケーションの更なる改善をめざしたい。


特別講演2「植物と人間 人類と食物とのかかわりの歴史」
     S・ハートリーさん(イギリス・サセックス大学教授)

 人類は採集・狩猟のくらしから、植物を栽培して食料を安定して得て定住できるようになった。私たちが食べている作物は、人類の歴史の中で、害虫や動物に対抗するための仕組み(殺虫効果のある化学物質を植物体内で合成する、硬いシリカを持って食害に対抗するなど)を除かれてしまった。武装を失った作物を栽培していくには、遺伝子組換え技術で改良するしかない。ケイ素摂取能力を高めて防御能力を高めたり、灌水したときに草丈が伸びるようにしたり(シュノーケル米)、C4遺伝子を活発化して収量をあげたりする研究が進んでいる。これから水やエネルギー不足に向かい、環境の変化に順応できる作物を作っていくことが最重要課題。


パネルディスカッション「サイエンスコミュニケーションについて」

パネリスト:小泉 直子氏/内閣府 食品安全委員会委員長
小出 重幸氏/読売新聞東京本社編集委員
S・ハートリー氏
I・ファン・ヘーステ氏
阿南 久氏/全国消費者団体連絡会事務局長
木村 毅/味の素株式会社執行役員品質保証部長
モデレーター:西澤真理子氏(リテラジャパン代表)

  • はモデレーターの発言

    • 日英で、子どもの反応の違いは→英国では叫んだり、チョコレートファウンテンでは私と一緒にたべまくったりした。日本の子どもは熱心だがお行儀がよかった(ハートレー)
    • 手や体を使う体験で子どもに変化が現れるか→もちろん。科学は実際的で、実験や体験で学ぶもの。英国の教育でも実験が不足していて、動植物を見る経験が少ない。クリスマスレクチャーのよさは実験、コミュニケーションができ、実際の問題に直面できること(ハートレー)
    • 欧州は科学コミュニケーションが盛んな伝統があるが→科学コミュニケーションは理解するうえで重要。実験を通じた科学コミュニケーションは科学の魅力を伝え、リスクコミュニケーションは科学の畏れを伝える、サイコミは魅力を伝える。科学を理解しても感情的なリスクに曝されると合理性を失う。リスクは論理的に語りにくい(ヘーステ)
    • 日本で計21回のクリスマスレクチャーを、新聞社がサポートしてきた。新聞社内にはさまざまなセクションがあり、私は取材や新聞編集に携わる新聞記者だが、音楽や芸術、野球などスポーツを通して、社会に働きかける仕事もある。クリスマスレクチャーは、マイケル・ファラデーの「ロウソクの科学」の講演に始まるが、教育にとどまらず、科学を舞台芸術として表現する面でも素晴らしく、こうした伝統を長く続ける英国の文化もすごいと思う。日本でのクリスマスレクチャーを取材して、こどもは感動し、気づき、自分で学び取る様子を見て、これは一生の思い出になると思った。日本の学校の授業の中で「観察」と「実験」の時間が減っている。実験を省略して結果だけを覚えさせれば、科学嫌いを生む。クリスマスレクチャーは参加者に感動を伝えており、教育の貧困を補っている。活動を支える企業の働きも大事で、クリスマスレクチャーを日本の企業が支援続けていることも、意義深いことだと思う(小出)
    • 食品安全委員会の立場から実際に手を使うリスクコミュニケーションはどうですか→ 参考になった。これからのDVD作成の参考にしたい。ジュニア食品安全委員会で親子クイズをしたらリピーターも誕生した。子どもは頭が柔らかいので、子ども向けDVDを作っている。委員とのサイエンスカフェ、副読本作成もしている(小泉)。
    • コミュニケーーションについて、消費者団体としてヒントはありましたか→Eurobarometerでは消費者団体が信頼されているのに驚いた。私は農村育ちで農家の作業はよく知っていたので、農業者は最高の科学者であり、科学の実践者だから、農業のことは農業者に聞きに行くことにしてきた。これが今は断絶された。農業現場の科学を出かけて行って知り、農業との距離が縮まることが大事(阿南)
    • 味の素がクリスマスレクカチャーをサポートされたが、企業はコミュニケーションをどう考えるか→企業は信頼されていないから、企業自身のことをもっと話すべき。うまみの話、CSR、クリスマスレクチャーはとてもいい活動なので支援した。去年もクレブス卿の講演会を開催した。皆さんとのコミュニケーションを続けていきたい(木村)
    • 会場の質問から「人は普段食べているものや既存のものは怖がらないが、遺伝子組換えを怖がっている。これは世界共通だが、人間として普通の反応だろうか」→人間がリスク評価をするとき、国によって新しい食品はリスクがあると思われる傾向はある。ふぐ毒よりGMOを畏れる。食の伝統を強く守る傾向がある。米国はGMの不安が低いが、欧州では高く、ある意味で仕掛けられたところもある。メディアが煽ったり、人為的に恐怖感が作られたこともあった。アフリカ諸国ではGMより飢餓、病害虫の恐怖が強い。社会の文脈で恐怖感は違ってくる。リスクベネフィット分析をすると、欧州では食料が豊かにあり、新しい食品をわざわざ選ぶ必要はない。組換え技術を使った医薬品のリスク認知は小さく、食品は大きい。無意識に考えていると思う(ハートレー)
    • 国によってリスク意識が違うか→イタリア人はおいしければよいという感覚で、食品安全と質の違いが説明しにくかった。北欧はアレルギーの心配が強かった。だからイタリア、スペイン、北欧の人々は互いに理解しあえないだろう。国によって食の歴史が異なる。オランダは鳥インフルエンザや口蹄疫のリスク認知が高い。鳥インフルエンザに縁のない国では、農薬のリスク認知が高いかもしれない ベルギーはダイオキシンなどの化学物質を気にする。欧州はひとつに見えても、国によってとても異なる(ヘーステ)
    • EFSAから欧州の複数の国にメッセージを出すときに注意することは→WGで各国当局が年に複数回集まる。互いにメールで連絡を取り合う。EFSAは統括会議をする前に、2ヶ月前に自国の情報を集め、事前に伝え、各国の状況を伝えあう。いつも EFSAのコミュニケーション部門が各国に集められた情報を各国のコミュニケーション部門に送って、各国のコメントを聞く。EFSAは全体的な見解を出し、各国の状況をみて、各国の当局に伝える。国ごとの扱いは一律ではない(ヘーステ)
    • 行政への信頼は消費者団体に対するものより低い。新規技術に関する情報では行政が信用されていると思うが、イギリスでは行政の情報発信はどうか→科学情報の効果的な発信は難しい。科学子ミュニケーションには2つの問題がある。①英国では科学リテラシーは低い。子どものときに理科の勉強をやめてしまい、理科の知識が少ない。メディアは文系が多く、世論形成するのは文系が多い、政治家に理科を正確に伝えるのが難しい。②アマチュアが台頭。専門家への信頼が低くなり、科学を知らない有名人の言うことに耳を傾ける傾向がある。イギリス議会の晩餐会で生物多様性保全担当大臣と話したが、科学者として私はデータに基づいて最善の助言をしようとしていると言った所、大臣はその助言が気に入らないときにどうするのか、助言以外をしたらどうかとさえ言われた。(ハートレー)
    • イギリスでも科学は伝わりにくいというが、日本ではどうか→科学を多くの人に理解してもらうには、どうしたらよいかという現代日本の問題が、科学の歴史の長い欧州でも依然として存在することが興味深い 明治維新後、日本は欧米の植民地にならないために殖産興業と富国強兵政策を進めてきた。そのために優れた人材を大学前に文系 理系とに振り分け、促成栽培で教育、国力増強、高度成長を達成してきた。この過程で、科学の哲学的、文化的側面が吸収されないまま、取り残された。日本の科学の不幸は「文化」の仲間入りをさせてもらえなかったことで、この風潮は現在も続いており、「科学がわからなくても平気な文化人」が数多くいる。(小出)。
    • 日本人の科学リテラシーは向上したが、食品安全委員会でどうですか→文系理系でなく社会学が大事。日本は白黒の判断と体験したかどうかに固執する。日本人では危険な食中毒被害が3万人しかないから、怖がらず、未知のGMを怖がる。ハザードとリスクの違いがわかっていない。BSEの確率は1億人に1人未満なのに、ハーザード(自分がかかったら)ばかりを気にしている(小泉)
    • 体験していないリスクを恐れるというが→消費者は科学的に考えろと言われて教え諭される対象となっているが、説明する行政がわかっていないことが、今、わかった。そのような行政では、体験していない新技術の情報発信をちゃんとできるはずがないと思う。これまでのリスクコミュニケーションは政府に規制を求めることが中心だったが、これからは、消費者と生産者・製造者、科学者、行政が対等な立場でコミュニケーションをするのが大事だと思った(阿南)
    • 欧州では生産者、消費者が直接コミュニケーションする試みはあるか→同じ問題がある。私は農村育ちで農家のことは知っていた。今、私の住んでいるところの人たちはどうやって栽培し、どうやって餌をやるかを知らない。農家が近い存在になるように知らせても解決しない。農業を知る、健康を知る、これは学校ですること。学校で自然科学は重視されていなかった。オランダでは2カ国語を学ぶが、自然科学は年をとると理解しにくいから、科学の基礎知識は学校で必ず習うべき。科学を知らないひとは間違ったことを信じていしまう。8歳のこどもにGMOは禁止すべき、GMは農薬をたくさんと使うと本気で学校で教えていて驚いた。欧州は健康上問題はないが、世論が怖いのでGMを広めたくない。これだけモラトリアムになっているのはきっと何か問題があったのだろうという考えがひ広まっている、GMの利益が欧州に見えない。途上国でGMの利益がないなら、そのリスクを欧州はとる必要はないと思ってしまう 直接のメリットが見えないとリスクを取りたがらない。GMワクチンのリスクは受容されている。ワクチンならいいのに、食品ならどうしてだめなのかと市民の気持ちを逆なでした経験もある。最後はGMを受容することになるだろう。欧州はGMの理解が遅れ、オランダでは種子の選抜育種をしている。組換えを使えば期間短縮ができるだろう(ヘーステ) 
    • 離れた所のものに興味がなく、身近なものに関心がないのはエゴではないか。科学を伝える伝統や態度は科学者側にどこまであるのだろうか→多くの科学者は市民に語れといわれれば嫌がるだろう。科学者には変わり者が多く、コミュニケーションが得意でなく、難しい概念を伝えることはやりたくない。専門以外のことをすることが多く、同僚や学生にしか語りかけたことがないので、コミュニケーションを難しいと思うだろう。クリスマスレクチャーは楽しい。難しいことはそのままで伝えるべき。わかりやすく簡略すべきでない。先端のものはそのままの形で伝えるべき。難しいことを楽しい、面白いと感じさせられれば、うまく伝えることができることを、クリスマスレクチャーで学んだ。全部の科学者がコミュニケーションに向いているわけではないが、市民は理解できる!(ハートレー)
    • メーカから社会への語りかけるときは→自分たちはうまみの出前授業をしている。科学リテラシー向上には企業連合をつくって進められればと思う(木村)。
    • メーカー、研究者も重要だが、メディア、行政の力は無視できない。食品安全委員会はどんなことに気をつけてメディアに情報提供するのか→メディアの記事にもいいのとミスリードするのがある。メディア向けサイエンスカフェを始めた。メチル水銀を扱ったとき、科学部の人はよく理解していた。メディアとつながってよく情報交換するのが食品安全委員会の仕事だと思う(小泉)
    • 科学部、社会部で記者の考え方に違いがあるのだろうか→メディアには①報道、②娯楽の提供のふたつの役目がある。報道には①ニュースを作る②解説やサイド記事を書く――の二つがある。ニュースとは「常ではないこと」で、極端なことを言えば、犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛み殺せばニュースになる。新聞は、このニュース価値の高いものから、記事のスペースを埋めて行く。目立つ、新しい、珍しい、驚く――ことなどが、大きなニュースになる。1面、社会面にはニュースが掲載されるが、これに加えて3面、解説面などには俯瞰的、解説的な記事が掲載される。一方で、報道と娯楽の境界は微妙だ。「環境ホルモン騒動」(1998年)では、今読み返すと驚くようなことが「深刻な問題」として取り上げられており、事実を超えたリスク煽動が行われた。この傾向は週刊誌、ワイドショーなどでより強く、報道よりも娯楽の要素が大きくなっている。読者、消費者には、報道と娯楽の区別を見分けて、ニュースの背景を読み取ってもらえれば、うれしい(小出)
    • 最も信頼されているのは消費者団体ということだったが→情報収集は難しい。実際に見たこと、体験したことを伝えるのが消費者団体の役目だと思う(阿南)
    • 食の未来について。天然、自然なものがいいという考え方もある→何が天然か、自然か。 今の食品に完全に自然なものはない。新技術や遺伝子組換え技術が嫌いな人がいるが、DNAは自然なもの。何が自然であるかの見方による。伝統的なら天然で安全、新規技術は危険という見方は問題。私たちは、天然農薬を毎日2g摂取している。従来の方法だけでは、食料安全保障は難しい。新しいアイディアを使わないと間に合わないが、それを市民に伝えるのは難しい。しかし、技術が新しく複雑でもアイフォンのように人気があるものがあるので、アイメイズのような人気のあるトウモロコシを作り出すべきではないだろうか(ハートリー)
    • 食品は社会を変えてきた。食における今後の科学の役割は→情報をできるだけ公開して消費者が選べるようにすること。インフォームドチョイスにつきる。情報の透明性を優先させる。消費者団体に頑張ってもらい、消費者に情報を届けてもらいたい。そのために5000万の消費者庁の予算を使ってもらいたいと思う(小泉)。