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TTCバイオカフェレポート「ゲノムの話〜どうしてガンはできるのか」

 2011年9月16日(金)、東京テクニカルカレッジ(TTC)にて、バイオカフェを開きました。お話は、同校バイオ科講師 大藤道衛さんによる「ゲノムの話〜どうしてガンはできるのか」でした。始まりはSayacoさんによる、アカペラのアメージンググレースの美しい歌声に聞き惚れながら、最後には全員で「ふるさと」を歌いました。
 杉本校長先生から、「TTCバイオカフェも4回目になり、だんだんにお客さんも増えて、期待している」との開会のことばがありました。

杉本先生による開会のことば 大藤先生のお話

お話の主な内容

 10月になるとガン関連の学会のシーズンになり、毎年、新聞やテレビでガンの先端研究成果が紹介されるが、なかなか完全に治せるようにはならない。どういう仕組みでガンは起きるのか、ゲノム、遺伝子の立場から話したい。
 ヒトの体は約60兆個の細胞からできていて、中にある核には染色体がある。染色体はデオキシリボ核酸(DNA)という物質からできていて、A、T、G、Cと呼ばれる4種類の物質(塩基)がつながっている。ゲノム(genome)とは遺伝子(gene)と染色体(chromosome)からできた造語。親から子へ伝わる遺伝情報を持っているのが遺伝子。生きていくために必要な遺伝子の1セットをゲノムといい、約22、000個の遺伝子が含まれる。ゲノムには、①遺伝情報を親から子へ伝えることと、②遺伝情報を活用する(使う)ことのふたつの役目がある。遺伝子からRNAが作られると、その情報に従って酵素などのタンパク質が作られる。DNAの塩基の並び方を調べると、どこが遺伝子でどこが遺伝子を調節するプロモーターの部分かがわかる。
{コメント:Proteinの日本語名として分子生物学では、「蛋白質」ではなく「タンパク質」を使うことが多くなっています。「並び方」を明確にするため「塩基」を加えました。}

 DNAは水に溶けるがアルコールには溶けないのでDNAの水溶液にアルコールを加えるとDNAが白く見えるようになる。DNAは、鮭もヒトも同じ物質。サケ、私のゲノムを見せます。ねずみのタンパク質、水にとけたサケのDNAを見せます。DNAは、タンパク質に比べ分子が大きいので粘度の高い溶液になる。

Sayakoさんの歌 モデルを使って「メチル化」説明


 私たちは両親からゲノムを1セットずつもらう。受精卵が分裂するとき、ゲノムは均等に分配されるため全ての細胞は、同じゲノムを持つことになる。分裂するうちに内臓、髪の毛、筋肉など、異なる組織の細胞に分化する。分化するときは、異なる遺伝子を使っていることになる。ただし、免疫担当細胞と生殖細胞のゲノムは異なる。
 細胞が分化していくときには、使われる遺伝子と使われない遺伝子がある。プロモーターにメチル基がついてメチル化されると、遺伝情報(DNAの塩基の並び方)は変わらないが、その遺伝子は使われなくなる。プロモーターのメチル化のようにDNAの塩基の並び方に寄らず遺伝子を使うかどうかを決める仕組を、エピジェネティクスという。
 植物では、1970年代から、メチル化が研究されていた。ヒトでは、例えば、一卵性双生児のゲノムは100%一致するが、成長段階で似なくなってくるのは、メチル化の働きと分かってきた。2-3歳の双子のDNAを調べるとメチル化の状況は全く同じなのに、50歳の双子を調べたら、メチル化のパターンはそれぞれの生活環境などで異なっていた。

病気には環境要因と遺伝要因がある
 遺伝病には、デュシャンヌ型筋ジストロフィーなど1つの遺伝子が原因となる単一遺伝子病がある。環境要因の代表は、転倒したときの怪我、感染症。しかし、多くの病気は環境要因と遺伝要因が複雑に絡まっている。
食生活との関係を調べた1978年の論文によると、牛肉の摂取量とガンの患者数は比例していた。ニュージーランドや米国の人々は牛肉を多く食べ大腸がんが多い。一方、米国に移民した日本人の大腸ガンが増えてきた(日本人は胃ガンが多く大腸ガンが少ない傾向がある)。

ヒトのガンの原因
 ヒトがガンになる原因にはいろいろある。主なものとして、①特定の遺伝子による、②ゲノムDNAの上の自然変異による(自然放射能、活性酸素、紫外線)、③環境要因(同じ環境にいても、個人の体質 代謝が個人によって異なる)
 遺伝性のガンを調べるには、ガンの家系図を描く。米国大統領だったジミー・カーターはピーナッツ農家出身で家族にガンが多い。調べてみたが、環境要因によるのか、遺伝性かはわからなかった。塩味の味付けが強い家に嫁いだら、胃ガンになったケースがあったとしたら、家系か?環境か?
 私たちの身体では、毎日、数1000個のガン細胞ができる。ほとんどは死ぬか、正常な細胞に戻って、ガンは発症しない。癌原遺伝子と、癌抑制遺伝子とのバランスが取れているためである。

ガンができるメカニズム
 変異原性物質を外から取り込んでDNAに傷がついても、ほとんどは修復される。癌原遺伝子や癌抑制遺伝子に変異が起ると、ガンになる。遺伝子の変化が起きてガンが発症するまでに、1-2年から5-10年かかる。遺伝性ガンに環境が影響することもある。
 例えば、p53という癌抑制遺伝子は、ゲノムのガードマンの働きをする。DNAの修復がうまくいかないときには、アポトーシス(プログラムされた細胞の自殺)でガン細胞をなくしてしまう。変異が起っても、p53の異常によりアポトーシスがうまく起らなくなるとガンになる。
例)胃ガンの発生
 分化型の胃ガンでは、(orある種の胃ガンでは、)癌抑制遺伝子の発現抑制が起る。これは、癌抑制遺伝子のプロモーターにメチル化が起こるためである。高齢になるとメチル化が起りやすくなる。女性より男性、タバコをすわない人より喫煙者の方がメチル化が起こる。メチル化が起こってもメチル基が取れることもある。緑茶をよく飲む、運動をよくすると、メチル化頻度は減るという研究もある。ガンはある遺伝子でのメチル化頻度が高くなると起こるとも言える。
 変異やメチル化の状況は、ガン細胞からDNAを取り出して、PCRで増やし、電気泳動で分析することでわかる。電気泳動ゲルのバンド(ガンに関係するDNAがある)を切り出してさらに調べると、遺伝子の変異がわかる。例えば、ATGCが1文字違っていたりする。
 ゲノム解読技術が1996年から2011年にかけて、劇的に高速化された。1996年には、ヒトのゲノムを調べるのに、5,000年かかると予測されていた。2006年には、超高速DNAシーケンサーで約30日まで短縮された。ガンゲノムアトラスというプロジェクトでは、このような新しい技術により、個々の遺伝子レベルから遺伝子全体をみるゲノムレベルでガンを調べ、多くの知見を得ている。

ガンの培養細胞
 ヘンリエッタラックスさんという、31歳で、1951年にに子宮頚部ガンでなくなった女性がいる。彼女のガンの手術で切除した細胞を培養したところ、良く育ち、Hela細胞として今も研究、教育に使われている。ヘンリエッタさんは亡くなっても、彼女の細胞は不死化して今も存在していることになる(「ヘンリエッタラックスの永遠なる人生」という本が翻訳されているので興味のある方は読んでください)。ガンの研究には患者さんの協力が必要。培養細胞を使っている研究者は患者さんの顔はわからないが、培養細胞とつきあっている。



話し合い 
  • は参加者、→はスピーカーの発言

  • ○何が変化するとガン化するのか。がん細胞とは何か?
    →rasのような癌原遺伝子やp53のような癌抑制遺伝子の変異がガンを起こすと理解されていたが、実際には一つの癌抑制遺伝子や癌原遺伝子に変異があってもガンにならないことも多い。大腸癌の例で話したように、ガンは複数の遺伝子変異が関係する。放射線などの環境にも依存している。

    ○ガンは三次元的に増えるというが、どうしてそれが病気になるか
    →私たちの細胞は秩序にしたがって増えている。各細胞が無秩序に増え、増殖するがん細胞は、周囲の細胞に不都合を起こし、細胞の集合である組織の機能に異常がおこりがんとなる。

    ○たまたま無秩序にふえるのががんといえるのか 
    →変異はランダムに起こる。たまたまガンに関連した遺伝子の変異が修復されずに変異したまま残ると、ガンが引き起こされる。
    がんを分析して、ある遺伝子に変異が見つかった場合、動物実験などで変異を人工的に起こして同じようにガンができるかどうかを確かめる。そこで原因遺伝子を突き止める事ができる。

    ○東日本大震災の報道で、照射線の影響で0.5%発がん性が上昇するというが、どうやってわかるのか
    →私は20年間、放射性物質をがんの研究のために扱ってきた。将来、影響が現れるかもしれないが、被曝したときに、変異がその場で起ってもほとんどは修復される。修復の能力を超えると変異が残りガンになるかもしれない。放射線のヒトへの影響を調べたデータは広島、長崎で被爆した人(爆心地からの距離でどのくらい被曝したかがわかる)が一瞬で何ミリシーベルト浴びたらどうなったかを何年も追跡調査し、コホート研究されたものがある。全く浴びていない人の追跡調査と比較して、200ミリシーベルトでは影響が無いという報告もある(*)。そこで、「直ちに健康被害はない」と表現されるのだろう。

    (*)「200ミリシーベルトでは影響が無いという報告」
    Heidenreich WF et al. “No evidence for increased tumor rates below 200 mSv in the atomic bomb survivors data. 
    Radiat Environ Biophys. 1997 Sep;36(3):205-7.

    ○低線量でもDNAで変化がおこる。6秒に1回は変異が起こるので、変化はあるがすぐに修復されてしまう。けれどゼロとはいえないではないか 
    →放射線だけの影響を受ける遺伝子を調べられるデータがあればいいが、そういうものはない。チェルノブイリの小児甲状腺ガンと、通常の甲状腺ガンを比べると、7番染色体に特徴的な変化があるという報告がある(**)。200ミリシーベルト以下は発癌に影響がないといえそう。けれど、あるガン患者さんの原因が、放射線によるのかたばこなど他の要因によるかはわからない。

    (**)「チェルノブイルの小児甲状腺ガンでは7番染色体に特徴的な変化があるという報告」Hes J et al. “Gain of chromosome band 7q11 in papillary thyroid carcinomas of young patients is associated with exposure to low-dose irradiation” PNAS   2011 doi:10.1073/pnas.1017137108

    ○科学的にわかっていることは何か
    →放射線、排気ガスには発がんリスクがあること。日常生活でのガンの原因を一般消費者に尋ねた調査(1990年 暮らしの手帳)によると、主婦は食品添加物、農薬と回答した人が多いが、ガンの疫学研究者は、タバコ、普通のたべものと回答している。米国の1996年の疫学調査では、たばこ、食事(おこげ、脂が多くてホルモンバランス)となっている。お酒が分解したときにできるアルデヒドの代謝活性が民族で異なり、これもがんに関係するかもしれない。

    200ミリシーベルト以下の原爆被爆者にガンはが増加しないいう報告(*)。日本の自然放射能は0.43から1.26ミリシーベルト/1年。ブラジルは35、イランのラムサールでは10ミリシーベルト/1年から場所により最高260ミリシーベルト/1年(***)。しかし、ラムサールより日本の方がガンは多い。ガン、肥満、は長寿は文明国の特徴だろう。
    放射線作業者への基準によれば、従事者は20ミリシーベルト/1年、妊婦は細胞増殖が盛んなので5ミリシーベルトと決められている。一方、原発労働者の平均被曝量は1ミリシーベルト/1年と言われている。

    (***)「ラムサール地方の最高は260ミリシーベルト/1年」Mortazavi,S.M.J,Karam P.A. “High Levels of Natural Radiation in Ramsar, Iran: 
Should Regulatory Authorities Protect the Inhabitants?” Iranian Journal of Science , 2 (2): 1-9, 2002.

    ○心臓にガンがないのはなぜ
    →分裂しないからなどといわれているが、調べてみましょう。
    後日、ご連絡がありました「頻度は低いものの心臓の悪性腫瘍は存在します(「外科病理学」(文光堂))」とのことでした。

    おまけ 「ガン」の使い方について

     「腫瘍」は制御なく自律的に増殖した組織の塊を表します。ここで「悪性腫瘍」(病理用語)=「悪性新生物」(統計等でよく用いる用語)=「がん」(例:国立がん研究センター)。このうち上皮性の「悪性腫瘍」を漢字の「癌」であらわします。「がん」と「ガン」は同意として使われます。このため、白血病や肉腫は、「がん」だが「癌」ではありません。一方、このような使い方とは別に、「癌」=堅い学問的なイメージ(例:日本癌学会 白血病や肉腫などの「がん」のセッションもある)、「がん」=やわらかいイメージという使い方がされている場合もあります。ただし、癌抑制遺伝子、癌遺伝子などは、「癌」を用いるのが一般的なため「癌」を用います。