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渋谷カフェレポート「科学技術の成果“うまみ調味料”を世界の食卓に!」

 2014年11月14日、東京都市大学渋谷サテライトで渋谷カフェを開き、くらしとバイオプラザ21最高顧問 歌田勝弘さんのお話「科学技術の成果“うまみ調味料”を世界の食卓に!」をうかがいました。初めに東京都市大学 環境学部長 吉﨑真司教授より開会のことばがありました。聞き手は香雪社 フードウォッチジャパン編集長 齋藤訓之さんでした。

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開会 歌田勝弘さんと齋藤訓之さん

お話のおもな内容

「味の素」の誕生
1908年、こんぶのおいしさの元はグルタミン酸であることを発見された池田菊苗博士は、「佳味は滋養に通ず」といわれた。この後、ご研究をもとに1909年に「味の素」という会社が生まれた。グルタミン酸はすっぱいと思われていたが、こんぶにあるのはグルタミン酸ナトリウム。これを小麦粉を塩酸で分解してつくった。
一方、鈴木商店ではヨードをつくるのに成功し、三浦半島から始まり関西でも売っていた。
鈴木商店三代目の鈴木三郎助はオートバイを輸入して販売するなど、新しい事業もするが博打も好きで倒産したりしていた。彼が池田博士の話にのり、1908年、池田と鈴木は苦労の末、特許を取得。このころ、池田博士はグルタミン酸ナトリウムに「味精」とした。三郎助は「味の元」と名付け、三郎助の弟が「味の素」として安全性試験を行い、商標をとった。10年以上赤字だったが、他の事業で補っていた。三代目は国内で認知されないうちから、息子を大陸に送り、戦前、中国に味の素製造工場を4つも建た。
当時、味には4原味(甘い、すっぱい、塩辛い、苦い)だったが、池田博士が5番目の「うまみ」を発見。大正時代には、弟子の小玉先生がカツオダシのイノシン酸を見つけ、その後、椎茸のグアニル酸などのうまみが発見された。
 
試練のとき 1
味の素が売れ始めたころ、味の素は蛇肉からつくられているという噂がでた。出所は大道の香具師(やし)らしい。
そこで、蛇肉でないとわかってもらおうと、川崎工場見学会を行った。参加者は帰り道に「蛇は見せてもらえなかったね」と言い合っていたという。「味の素は蛇肉にあらず」という大きな新聞広告を載せたりした。
関東大震災が起こり、食べ物がなくなり、おいしい食べ物を食べたい気持ちが盛り上がったのか、味の素はよく売れるようになってきた。
戦争末期、川崎工場が爆撃された。原料がなくなり、味の素は作れなくなった。これは昭和25年の統制解除まで続いた。解除の理由は、アメリカに輸出するとドル獲得になるからだった。
 
味の素で頭がよくなる?
リーダーズダイジェストで「ブレイン・メディスン(頭のくすり)」として、味の素は頭がよくなるという記事が出た。進駐軍の兵隊は業務用味の素の金色の1キロ缶を土産に買って帰ったものだ。科学的根拠が弱く、嬉しいが困った現象でもあった。
林高先生(慶応義塾大学 生理学)が「頭がよくなる」と言って下さった。わが社では、「これは嬉しいニュースだが、これに乗ってはいけない」と厳命が下り、広告には使わなかった。この先輩の決断は正しかったと思う。朝鮮戦争でさらに売上は伸びた。
 
試練のときに 2
石油化学工業が発達し、昭和30年には発酵法でできるようになっていたが、合成法でも味の素を作ることができる。アクリルニトリルから味の素をつくったせいか、「石油から作られている」という噂が広まってしまった。「なんとなく伝わってしまって困った」という記憶がある。昭和37年に四日市に工場を建てたことも影響したらしい。
 
こぼれ話「味の素の瓶の穴が大きいのはたくさん使わせるため?」
戦前は、赤い箱に小さじをつけて売っていたが、その後、食卓瓶を作った。小さじからは大進歩。しかし、調理するときは蒸気で穴がつまりやすいので、調理瓶の穴は大きく、多くしてあった。食卓で調理瓶を使う人もいた。
すると、マスコミに「穴を大きくして多く使わせようとするあくどい商法」といわれてしまった。
 
試練のとき 3
昭和44年 オルニー博士が小さいネズミにグルタミン酸を注射したら視床下部に異常をきたしたとサイエンスに発表した。このニュースは一晩で世界中に広まった。食品添加物は乳幼児に使うのを制限すべきということになった。そのころ、私は大阪支店長だったので、デパートの朝礼に出たりしては、「調味料は少量しか使わないもの。生まれたばかりのネズミに大量に注射する実験とは条件が違う」と、方々で言って歩いた。
同じころ、ラルフネーダーが消費者運動を始めた。自動車時代の到来。これは、戦後の物のない時代が終わり、安全性、栄養を求める時代が始まった時期と重なっていたと思う。
味の素では、戸塚に動物実験室をつくって安全性試験を始めた。同時に広報室もつくった。広報室を設置したのは味の素が初めてだったと思う。
オルニーの論文について、社内だけなく化学調味料工業協会、国際的な団体などあらゆるところで啓発活動をした。FDAに撤回してもらえるように、ハーバード大学、ロンドン大学にも資料を送って誤解を解くように働きかけた。その結果、FDAは「通常の使用方法で問題はないが乳幼児を対象外とする」という結論を出した(1987年)。
有害に見せようとする悪意のある実験も流行った。水俣病など公害が声高に訴えられていた時代でもあった。
 
広報とIR
広報には社内広報と社外広報がある。社外が特に注目される。消費者の考え方をいかに取り入れるか。消費者嗜好をとりいれて外に発信する「アウト」と消費者の意見をとりいれる「イン」の両方がある。
経団連にも広報部会を設立した。広報の意義が認められ、それが広まっていったと思う。
広報の延長にIR(インベスター・リレーション)がある。経団連副会長時代、日経新聞と経団連が組んでIR協議会をつくり初代会長を務めた。広報の一つの役目として一般人や投資家に経営についての方法や理念を伝えること。今はだれでもIRを知っているが、インの広報もアウトの広報も大事だと日本の企業に知ってもらうことから始めた。
 
バイオテクノロジーとの縁
バイオインダストリー協会理事長(経済産業、医療、エネルギーなど各省にまたがっている)時代にバイオ産業人会議をつくった。遺伝子組換え食品が医薬品のように広く受け入れられない。世界ではのびているが日本ではうまくいかない。遺伝子組換えは、なんとなく気味が悪いという人たちがいる。
広報は非常に多方面に関わっている分野で、蛇肉説を退治することからずっと続いていると思う。広報の分野として、顧客へのパブリックリレーション(PR)や投資家へのインベスター・リレーション(IR)などがある。
一般的に宣伝と広報の違いは、宣伝は一方通行だが、広報は双方向であること。


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会場風景

試練のとき 4
昭和20年代、「グルタミン酸ソーダ」イコール「味の素」だった。味の素は商品名で一般名でないので、NHKの料理番組で化学調味料という言葉を使った。化学は進歩的でいいものだった。
味の素有害説の中で化学調味料が悪者になった。池田先生の研究に立ち戻り、「うまみ調味料」と名付けた。化学調味料工業協会長時代のことで、世界的にも変えていこうと考えた。うまみは明治時代に安全性のお墨付きをいただいている。世界的な名称をどうするか。そこで4原味から5原味になった
世界的に、甘い、すっぱい、塩辛い、苦いに該当する英語やドイツ語はあるが、うまみはないことを確認し、UMAMIを1984-5年、社長時代に決定した。
うまみの普及活動は大変だった。書類や書物の中の「化学調味料」という記述をうまみに変えてもらわなければならない。教科書や辞典も変更してもらうことを、世界的にやってきた。そしてUMAMIは世界用語になった
アトランタのコカコーラの博物館に行ったとき、味は4原味とUMAMIと書かれているのと見た。今では一部の日本の食品で「化学調味料を使っていません」という差別表示が残っているくらいになった。
業界の用語はきちんとしないといけないと思う。経営用語はライバル会社ともよく調整し、業界全体が発展し、自社ものびるようにする。
 
まとめ
うまみは五味のひとつであり、味の原点。その人の健康状態、環境、雰囲気、もてなし、すべての要素が含まれる。そこに記憶(たとえば母の味)、温度、湿度、すべてが加わっておいしくなる。「佳味は滋養に通ず」のコンセプトを守ってきたことでもある。
味の素は食を中心として進化し、食、健康、生命に貢献するグローバルな貢献企業をめざしている。
複合調味料(ハイミー)、風味調味料(ほんだし)、冷凍食品(クックドウ)、甘味料(パルスイート)、医薬品といろいろ作っている。枝がたくさんできたが、アミノ酸化学が幹。
国際貢献活動としては、ガーナの給食にリジンを提供するなどアフリカの飢餓状態の人たちへの栄養食品を届けている。
東日本大震災直後から、被災地にキッチンカーを数台つくって出向き、栄養食品をお渡しして、栄養指導をして巡回している。これは今も続けている。
生命科学分野では血液を分析し、6種類くらいのガンの早期発見の研究をしている
山中伸弥先生のiPS細胞の研究でも培地の製造でお手伝いしている。
みんなが食べているものに科学の目を向けたことから、味の素が誕生し、更に科学が深まり味の素が多様な成果をあげていると思う。
経営には今までの継続も大事だが、イノベーションも大事。経営者が問われるのは、「どこまでイノベーションをできたか」。失敗してもイノベーションは続けるべきだと思う。イノベーションは商品開発だけでなく、経営、マーケテイング、広報、それぞれにある。ことに、サイエンスのイノベーションは人に負けずにどんどん進めていくべき。
味の素の歴史は105年。抽出法からはじまり、わが社の発酵法を開発し、合成法もつくった。中央研究所に分かれていた商品を集め、新しいものをつくった。今売れているからいいのではなく、次に何を出すかが大事!


話し合い 
  • は参加者、 → はスピーカーの発言

  • 味の素の歴史に沿ったお話のあと、活発な質疑応答が行われました。このような渋谷カフェを立ち上げた北澤宏一学長への感謝とご逝去を悼む言葉がありました。
    • 被災地の人たちが風評被害に負けずに頑張る方法をおしえてください。 → 風評にも種類がある。毅然とした態度でぶれないこと!! 科学的、倫理的にしっかりしたものをもって対応すること、いいかげんな対応はだめです。また、専門家の方たちには、不用意な発言はこらえてもらう必要がある。
    • ウナギ、マグロのような絶命危惧種の味をつくり出せないでしょうか。 → 経営を退いているが、味の素ではコクをつけるものはないかという研究をすでに始めているらしい。課題はたくさんある。やることはまだまだある。他の人のやらないこともやったらいいと思っている。ことに核酸系(シイタケ、動物)の味を大いにやってもらいたい。
    • 環境修復の仕事はされていませんか。 → 磯焼けが起こっている。その対策としてコンクリートのブロックにアルギニンをつけておくと昆布がよく生えるというので、二価の鉄とアミノ酸をコンクリートに混ぜて漁礁を作ろうとしている(強度には問題なし)。水産庁と国土交通省が期待している
    • 佐賀の味の素工場を見学したら、日本でアミノ酸を作っている工場ということだった。アミノ酸を作った後の搾りかすを砕いて乾燥して肥料(商品化している)として販売していた。絞りかすの利用を事業化しているのは、さすが味の素だと思いました。