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  • コンシューマーズカフェ「3.11に学ぶ放射能をめぐるリスク・コミュニケーション」

    2019年6月19日、コンシューマーズカフェ「3.11に学ぶ放射能をめぐるリスク・コミュニケーションー試行錯誤の歩み」を開きました(於 くすりの適正使用協議会会議室)。講師は量子科学研究開発機構 高崎量子応用研究所放射線生物応用研究部 小林泰彦さんです。小林さんは2011年4月8日、3.11直後に食品中に含まれる放射性物質に関するお話をいただきました。震災後最も早い時期に消費者に向けに、科学者から語られたお話でした。

    http://www.life-bio.or.jp/topics/topics462.html


    その後、小林さんが行った100回以上の情報発信とそれをめぐるコミュニケーションについてお話しいただきました。

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    小林泰彦さん

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    会場風景

    主なお話

    はじめに

    今日は、これまでお話してきた放射線と放射能の基礎と、そのときの聴衆の反応から考えたことと感じたこと、人々の不安はどんなものだったか、危険を指摘する人の主張と根拠、いろいろなステークホルダの対応、放射能リスクの納得と不安軽減に効果的だったメッセージ、風評被害が続いている理由と改善への展望についてお話します。

    3.11からの1年間

    震災直後は、ニュースで流れる線量などの単位や「暫定規制値」の意味など、主に知り合いの食品事業者からの緊急の問い合わせに応えていた。福島県を通過してきたトラックの積み荷は大丈夫か、のような素朴な問い合わせもあった。その後、食品事業者や業界団体、労働組合、自治体職員向けの緊急セミナーに加えて、地元の群馬県を中心に小中学校のPTAや一般市民向けに疑問や不安に応える機会が増えた。
    行政の担当者といっても、一般住民への対応と農業生産者への対応では知りたいことや心配ごとも違うので、それぞれの要望にマッチしたデータやスライドの準備に追われた。被災地にボランティアに行くグループの事前勉強会もあった。
    地元以外では、東京をはじめ全国各地で、食品衛生推進員や消費生活相談員など消費者との間に立つ人たちに向けての講演や、「自信を持って給食を提供するために」のような栄養士向けの講演依頼が続いた。生協からの依頼も多かったが、事業者としての生協の品質管理部門や納入業者向けの講演会、生協のリーダー向け研修、一般組合員向けのセミナーなど様々な形態があった。生協連を介して紹介された単協での一般組合員向けセミナーでは、日時も決まった後で「反原発の立場を鮮明にしている講師でないと受け入れられない」などの理由で一方的にキャンセルされたこともあったが、逆に、反原発グループの勉強会に招かれたこともあった。一口に反原発と言ってもその内情や意見は様々で、まことに興味深い経験ができた。
    こうして約1年で100回以上お話することになった。1年を過ぎてからは、放射線・放射能の知識が全くない状態での危機対応と言える段階は終わり、様々な団体で定期的に開催している市民講座、衛生講演会、勉強会などでの「話題提供」という形が多くなり、2〜3年後には、首都圏での「ホットスポット問題」に関連したイベントなどを除き、だいたい震災以前の状態に戻った。本当のリスク・コミュニケーションはここから始まるのだが‥
    (釈迦に説法かもしれませんが)リスク・コミュニケーションとは「情報と判断の共有」、すなわち、誰しもが断片的で偏った情報に基づいてそれぞれ勝手に判断してしまいがちな状況の中で、関係者の間で、まず「情報」を共有し、納得しながら歩み寄り、最終的には「判断」の共有と合意形成を目差す努力、ですよね。

    伝えてきた基礎知識

    (1)
    放射線と放射能
    放射能は放射線を出す能力のこと。気を付けることは量。弱い放射線は暮らしの中にいつもあるものだから過剰に心配する必要はない。もし放射線を受ける量を減らすための対策をとるなら「紫外線対策」と同じ考え方で良いし、大量の放射性物質を「食べない・運ばない・持ち込まない」ための対策は「花粉症対策」と同じと考えると分かりやすい。紹介した『分かりやすいスライド』にある、放射性物質は「菌じゃないので感染しない」という指摘は本当に重要で、のちに多発したいじめのことを思えば慧眼だったと思う。
    (2)
    身の回りにある放射線
    ベクレル(Bq)は放射能の強さを表す単位で、シーベルト(Sv)は放射線を浴びたときの人体への影響度(発がんリスクの増加度)を示す単位。食品などを介した内部被曝を表現する際の「ミリシーベルト(mSv)」は、摂取した放射能量(Bq)に換算係数(預託実効線量係数)をかけたもの。
    私達は自然放射線の中で暮らしている。食物に含まれる放射性物質では、大地の中の天然のウラン238に由来する空気中の希ガス核種ラドン222が順次崩壊して生じた固体の娘核種のうち、比較的長い半減期を持ちα線を出す鉛210やポロニウム210が(福島事故と同様に)降雨で海面に落ちてきた結果として魚や海藻に多く含まれており、野菜にも天然のカリウム40や炭素14が含まれている。セシウム汚染牛肉が問題になったが、暫定規制値(500 Bq/kg)ギリギリの濃度のセシウム137を含む牛肉を毎日100 g食べ続けた場合の放射線量の増加は、例えばこのスライドに示した測定例で、鎌倉の木造住宅から鉄筋コンクリートの住宅に引っ越した時の自然放射線量の増加より小さい程度。それでも気になりますか?
    (3)
    被ばく・汚染
    放射線を浴びることが被ばく(被曝)。化学物質でいう暴露にあたる。ふつうは、自然放射線以外に追加の放射線を受けることを指す。「被爆」は原爆の被害にあうこと。汚染とは放射性物質が身体や衣服などに付くこと。
    ただし、放射線管理の業界では、予定外に放射線を浴びることを「被ばく」といい、本来そこに無いはずの放射性物質が身体や衣服などに付くことを「汚染」という。つまり最初から管理していない(できない)自然の放射線被ばくや天然の放射性物質は(あたかも無いものとして)無視する。このような業界用語の特殊な言葉使いが一般の人には恐ろしく聞こえ、自然放射線や天然のカリウム40のことも忘れて、放射能があるかないか、白か黒かという誤解につながった。本当の一流の専門家ではない放射線管理の専門家や医者の無神経さの罪だと思う。
    被ばくは、その管理の都合上、外部被ばく(体の外から放射線に当たる)と内部被ばく(摂取した放射性物質の放射線に当たる)に分け、その合計の線量(Sv)で評価する。汚染には体表面汚染(皮膚などに付着し、除染するまで自然の状態より外部被ばく線量が増える)と体内汚染(呼吸や食物から体内に入り、排泄されるまでの間、自然の状態より内部被ばく線量が増える)がある。内部被ばくと体内汚染を混同して、内部被曝をより恐ろしく感じる人が多いようだ。
    (4)
    発がんリスク
    放射線による健康影響には確定的影響(最近では「組織反応」という。放射線治療の際の皮膚障害などの副作用がその典型)と確率的影響(発がんリスクの増加)がある。
    確定的影響は、ある程度以上の強い放射線で多数の細胞が一度に死ぬことによる影響。貧血、脱毛などの急性障害。ある線量以上を一度に受けないと起こらない、という「しきい値(しきい線量)」がある。
    確率的影響は、100 mSv以上の被ばくで統計的に現れる発がん確率の増加。放射線によるがんと他の原因によるがんは(現在の科学では)区別できない。
    100 mSv以下では現実には発がんの増加は検出されないが、本当にゼロではなく誤差に埋もれているだけかもしれないと用心深く考え、わずかな線量でもそれなりにわずかなリスク(影響が出る可能性)があると仮定する(しきい値なし直線モデル:LNTモデル)。
    実際には、放射線だけでなくストレス、喫煙、食品中の人工あるいは天然の発がん物質などの様々な原因の積み重ねで発がんに至るので、放射線被ばくが増えるほど発がんのリスクも高まると考える。しかし、いったん受けた放射線によるリスクの増加は、その後の食事改善や運動でキャンセルすることが可能と考えられる。
    LNTモデルは、低線量域での妥当性を科学的に証明できないという意味で、生物学的真実ではない。あくまでも、証明も否定もできないごく小さなリスク同士を比較して、リスク対策の優先順位を付けるなど、合理的な政策判断に役立てるための道具に過ぎない。ましてや、大集団に対する微量の放射線被曝がもたらすがん死亡数を推定するような使い方は、生物学的にも統計学的にも全く不確かであり、間違っている。
    法律上の、いわゆる「一般公衆の線量限度」とは、何も利益がないリスクは避けるのが賢明だから自然放射線と医療以外の無用の被曝が年間1 mSvを超えないように「放射線使用施設を規制する」ためのものである。
    LNTモデルに従えば、年間1 mSv以下でもリスクはゼロとは言えないはずだが、さすがにそれは「事実上安全なレベル」であると看做す訳である。国際放射線防護委員会(ICRP)が提案した『年間1 mSv』という数値の根拠は、「自然放射線の変動幅、地域ごとに違う自然放射線の線量の範囲内であれば、歓迎はできないかもしれないが、受容できないとは言えないはずである」(ICRP 1990年勧告)というものであり、これ以上の線量は危険という境界線ではない。
    (わずかな放射線被ばくが発がんリスクの増加に実際にどれくらい寄与するのか、臓器によっても年齢によっても様々に異なるそれぞれのがんの、その発がんに至るメカニズムが完全に解明されるまでは、よくわからないだろうと思います)
    (5)
    平常時と緊急時
    平常時は、わざと(計画的に)放射線を当てる(浴びる)状況。リスクは無いかもしれないけど、何も利益がないなら浴びないにこしたことはない。
    緊急時は、現実に被ばく線量が増えてしまった状況。線量を減らそうとすることで、別の損害やリスクが発生する。その線量で実際にどの程度のリスクがあるのかを真剣に考慮した、リスクのトレードオフの判断が必要。
    具体的には、100 mSvは(危険を承知の作業者などの場合は別として)一般人は問答無用で避けるべき線量であり、「年間1 mSv」は無視して良いレベル。事故後にある程度まで線量を下げて住み続けるとするなら、年間何mSv以下にすれば良いか?その目安が「年間20 mSv」であるが、「20」という数値に明確な根拠があるわけではない(50でも良いかもしれないし、10でも良いかもしれない)。そして、事故後の長期的な目標を「追加被ばく線量年間1 mSv以下」とするのは、そうしないと健康リスクが高いからではなく、原状回復を目指す(元どおりにしてほしいという当然の願いに応える)「倫理的配慮」が主な理由。
    現実には放射線そのもののリスクより、不安やストレスによる健康被害が問題。チェルノブイリでも直接的な健康被害は汚染したミルクを飲んだ子どもの小児甲状腺がんの増加だけで、白血病や他のがん、先天的な奇形の増加は科学的に確認されていない。もっとも深刻被害は、社会経済的な影響、不安ストレスによる精神的な障害、不必要な妊娠中絶の増加だった。今回の事故で、果たしてその反省は活かされただろうか?
    講演した時は、いつも、不安や避難したことによるストレスが大きいようだったので、知らないことからくる不安や間違った情報の害から身を守って下さいと話した。「わずかな放射線を長い間浴び続けた時、どんな影響があるかわかっていないのです」のような脅しにひっかからないように!と。
    (6)
    暫定規制値
    2011年3月末からの食品中の放射性物質の「暫定規制値」は、飲食物摂取制限の下限介入線量レベル(年間5 mSv)を絶対に上回らないように設定され、食べ続けても問題ないと考えられる目安として食品ごとに算出したもの。安全と危険の境界ではない。

    まとめ

    2011年8月から高崎市公民館で、7回連続で講演した。内容は(1)から(6)の基礎的な話。「正確な知識と情報を味方につけて、無用な不安や過剰な心配という『害』を減らそう!」というのが中心メッセージ。例えば10時から11時半の予定で、挨拶5分、講演50分、質疑応答35分と時間配分し、最後に、レジュメと一緒に配っておいたポストイットに質問を書いてもらって回収、それを読み上げて回答し、さらに皆の前では質問できなかった人のために終了後にも全員がいなくなるまでひとりひとりとお話ししたので、終了は13時過ぎになることも普通だった。
    エビデンスに基づく自律的思考スタイルの人は良いが、それができず、他人任せの人は、自分の不安を認めてくれる人を「信用できる人」として選んでしまう。
    正義感にかられて間違った情報を広める人々(善意の活動家)は、自分たちこそが正しいと信じているため、「その主張は間違いだ」といくら指摘しても、「不当な迫害を受けている」と感じで過激化するだけで、行動を改めることはほとんどない。一方、普通の市民は、そのような「活動家」、危険を煽る「大衆扇動家」に振り回されやすい。
    しかし、「活動家」に騙されないだけの「目利き」のできる人物が普通の市民の中に増えれば、そして職場や家庭、ご近所などのコミュニティの中に1人でもいれば、「活動家」のもたらす害悪は封じることができるかもしれない。
    そういう「目利き」を育て、元気付け、その数を増やしていくためには、Face to faceで家族と話すような話し方で、わかりやすい説明を積み重ねていくほかない。 

    話し合い

    • は参加者、 → はスピーカーの発言
    • 講演の頻度と内容による、理解増進への貢献度は高いと思う。
    • 根拠なく怖がる人たちに対応する専門家はいるのか
      →リスク・コミュニケーションの専門家はいるが、信頼を得る話し方などの技術論や、二言目には「欠如モデルはダメ」のような一般論ばかりで実践例を聞く機会は少なく、私には余り役に立たなかった。不安な人に共感する役割(例えてみれば優しい母?)と冷静に事実を伝える役割(厳しい父?)の一人二役は無理!と思った。二人一組で役割分担するとよいのではないか。福島の中学校で理科の先生と保健の先生が連携して効果を上げた放射線の授業例を聞いたことがある。怒りの感情に囚われて人の話を聞けない人や認知の歪みがある人は、リスク・コミュニケーションではなく治療の対象ではないか?そうなったら私には無理で、その道の専門家のカウンセリング、セラピーが必要と思う。学校や保健所など、行政として住民に向き合う立場の人は、大変だけど、自信を持って説明に努めてほしい。そのためのサポートが私の役割だと思う。
    • とんでもない質問に対応する方法はあるか
      →高崎の地域の公民館で講演中に立ち上がって抗議の演説?を始めた人がいたが、周囲の人がたしなめて止めてくれた。お互いに顔見知りのコミュニティならでは、かもしれない。他にもいろいろあったが、ひたすら我慢。そういう人たちに共通するのは、「原子力を擁護し推進するために被害を小さく見せようとしているのだろう」という疑念と怒りのようだった。福島原発事故の被害をゼロに戻せという怒りは仕方ないと受けとめる。どの講演でも、ここでは放射線や食品安全の話に限る、原子力発電の是非については議論しない、と断ってから始めるのだが、かならずそういう質問や意見が出た。
    • そういう人たちの中で、講演をやめなかったのはなぜ
      →自分に名指しで依頼が来たのに、断れないでしょう?全員ではなくても、話を聞いて分かってくれた人が毎回いたことがうれしく、支えになった。過剰な放射線不安は、被災者に追い打ちをかけ被災地の復興を妨げる二次災害。その「人災」の犯人の中には「市民やマスコミに叩かれてまでは説明したくない行政」も含まれる。そのような中で、行政として住民に向き合う立場の人から、力づけられた、と感謝されたことも多い。全くのアウェイの状況で講演した後でお礼状をもらったこともあった。
    • どう話しても分からない人と分かりたくない人の反応に違いはあるか
      →わかりたくないけど文句を言いたいという人は、話を聞くためではなく自分の意見をアピールするために来るようだ。
    • 食品添加物を嫌な人は無理して食べなければいいと思うのだが
      →自分のライフスタイルを邪魔された怒りがあるのだろう。
    • 説明における父親役と母親役の二役を一人ではできない。怒っている人に落ち着いて対応する方法あるか
      →切れず我慢する。相手を非難せずに淡々と説明する。聞いている人に、どっちもどっちだと思われないように、気をつけた。
    • 小林さんはとてもアクティブだと思う。機構の人たちはみんなそうなのか
      →私が名指しで講演を頼まれたので、それは全部私ひとりで対応した。原子力機構(JAEA)としても、事故対応活動として、福島などの各自治体での線量測定や除染の指導と助言、のちには管理職以上の3人組で小中学校や保育園などを訪問して質問に答える活動も始めたが、私は自分の講演が多くてあまり参加できなかった。高崎研では、福島県内各地への派遣の他に文科省に交代で詰めて毎日2回プレス発表する各地のモニタリングデータの集計を担当したし、東海村にある他の事業所ではホールボディカウンタでの内部被曝線量測定なども行っていた。特に電話相談の対応では、長時間一方的に怒鳴られることも多く、メンタル面で大変だったと思う。
    • コンクリートの住宅と木造住宅のような身近な例はとてもわかりやすく、重要だと思った
      →身近なことで計算してみると、例えば、毎日通る通学路のどこかの、瞬間的に通り過ぎるだけのホットスポットを問題にするより、住んでいる家の中の、長い時間をそこで過ごす部屋の近くの雨どいなどを掃除したほうが、線量の低減にはるかに効果的なことがわかる。
    • リスクゼロでなければならないという行政指導がある。私はガス会社にいたが、ガス事故のリスクは公開しないように言われていた。アメリカはリスクをオープンにして責任領域を明らかにし、データも公開する。日本はデータを出すと不安を生じさせるといわれた。これは国民性か
      →福島の事故はベネフィットなしだから、リスクもゼロであるべきと思う感情は理解できる。しかし、あまり意味のない除染や避難による新たなリスクを自ら背負い込むことは避けるべきなのだが。
    • 安全神話ではない、原子力発電のリスクを正しく知りたいという意見があった
      →かつて原子炉メーカーにいてその後反原発運動をしている人によると、原子力の専門家が自分から安全神話を言うわけがない、それを言い出したのは行政であり、それを行政に言わせたのは反対派だ、と。また別の反原発グループの人が言うには、以前から反原発運動をやってきた人はちゃんと勉強しているので、福島のリスクが実際どの程度かは理解している、いま危険性を過大に捉えて大騒ぎしている人たちとは違う、と。
    • 人はカリウムを体内に持っているといったら納得するのではないか
      →人工放射線はだめで自然放射線はよいという話が出てくる。
    • 人工放射線が怖いことが浸透しているのは、原爆のせいか
      →たぶんそうだろう。小学校で昔から原爆の悲惨さを習っているので世代の違いはない。福島事故の直後は大学生の基礎知識が上がったが、今はまた以前のレベルに戻ったと感じている。
    • 目利きになるしかないといわれたが、賛成・反対の講師が二人登場してもどちらが正しいかわからない
      →詳しく知っていて信用できる人を頼りにするしかない。できれば皆さんにも、コミュニティにひとりの目利きになって頂きたい。あるいは、そういう目利きの人を探して欲しい。
    • 身近なことの説明はわかりやすいが、身近な題材をつかってねつ造されてもわからない
      →確かに、個人プレーのトンデモ学者か、それとも正義の味方か、メディアに登場する自称専門家を一般市民は見抜けない。その場合、なぜ?なぜ?と問いを重ねていくと、根拠があいまいな情報は途中で答えられなくなるので、そこで信憑性をみるといい。
    • 社会的にメジャーな意見の中で正しくてマイナーな意見は拾いにくい
      →しっかりした情報源からの情報を選ぶしかない。公的な研究所や官公庁は必ず出典を明記している。
    • 韓国が日本の水産物輸入を規制することをWTO(世界貿易機関)が認めたのには問題だと思う
      →日本政府は審査の仕方(科学的な議論に踏み込まずに韓国の規制を認めたこと)を問題にすべきではないか。日本もBSEで米国産牛肉の輸入を停止し、WTOに提訴されそうになったことがある。
    • 福島原発ではトリチウム水が増えている。これは放出しても問題はないと思うが
      →放出したら、ようやく売れ始めた水産物などが売れなくなることを恐れている人たちがいる。トリチウム水は増えていくので、後になるほど大変だ、いつかは放出に踏み切る必要がある、と説得し、決断のイニシアティブをとる人が必要ではないか。除染で出た土砂などの処理も残っている。 
    • 風評被害に対する流通の影響は大きいのではないか。福島の農産物は不当に安く扱われていると思う。
      →弱みに付け込んで安く買い叩く業者もいると聞く。また、風評被害の「主犯」は、危険性を過剰に言い立てる一部の人たちではなく、むしろほとんど関心もなく単なるムードで購買行動を変える「普通の人」だと思う。その意味では、本当の「主犯」は消費者ではなく、仕入れず店頭に並べないことで実は特に気にもしていない人から購入機会を奪ってきた流通業者ではないだろうか?
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