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談話会報告「ヒトゲノム研究におけるコアコンピタンス(核になること)」

2月10日(木)第13回談話会を開きました。この談話会もお陰様で3年目に突入です。今回のスピーカーは国立医薬品衛生食品研究所JCRB細胞バンク増井徹さん。タイトルは難しそうでしたが、ご自身の闘病の経験も交え、医学の研究や患者と医師の関係など深いお話をうかがうことができました。人間を生物学的に表現するときには「ヒト」と書きますが、医療の発展の歴史はまさしく「ヒト身体」に支えられてきたものです。それは「私の体は私のものであるけれど、ヒトとしては子孫の健康に役立つものである」ことを意味し、現在用いられている医療も、私達より上の世代の人たちについて医療の記録に基づいてつくられたものであることがわかります。そういう増井さんの思いをこめて完成した素敵なパンフレット「明日のためにできること〜ゲノム研究の理解のために」が、参加者に配布されました。

増井さんのお話

1. ヒトゲノムプロジェクト

ヒトのゲノム配列を解読するヒトゲノムプロジェクトは、その後に続くふたつの研究方向性を生んだ。一つは、ゲノム情報の科学物質性、情報性に基づくゲノム研究。この方向は、生き物は情報を通じて制御可能であるという幻想を生んでいる。もう一つは、生物性(いきものせい)とその自律性に注目した方向性。それは、再生医療研究において、制御できないが自律性をもつ生き物、細胞を、最大限に利用しようとするものである。
医学を「ヒトを対象とした生物学」(医学・生物学)と捉えると、それを支える社会基盤を整備するためには、人の尊厳や基本的人権、市民と専門家の間での意識が違うことなどの問題の解決が求められる。1964、1972、2000年のヘルシンキ宣言の改訂を追うと、医学・生物学研究の対象が個人から集団へ、そしてまるのままの人から、ヒト組織や情報へと変化していることがわかる。現在の研究では、個人が対象となるというよりも、集団としての研究解析が重要である。そして、集団で得られた成果は、重なりのある2つの集合を統計学的に解析することである。難しいのは、その成果が個人の健康への情報としてどのように読み込まれていくかという課題である。

説明に熱がこもる増井さん 一緒に仕事されている高田さんと

2. ゲノム社会

ヘルシンキ宣言の中では、「医学の進歩は、最終的にはヒトを対象とする試験に一部依存せざるを得ない研究に基づく」といっている。
ゲノム情報を用いた研究の本質は、ヒトをゲノム情報によりグループ化して比べることでる。これは人為的に遺伝情報を均一化した動物を用いる動物実験の考え方と似ているのではないか。オーダーメード医療を日本では「個の医療」と呼ぶが実際には、ヒトのグループ化を通じて、限のある医療資源をより効率的に公平に利用することに役立つのかもしれない。
歴史的に観ると、往診医療では医者は患者に対して絶対的存在だったが、19世紀に現在の治療を主とした病院の原型が生まれ、病院医学が生まれた。ここでは、複数の患者を、複数の医師が診るようになる。医師の見たても、患者の病気も相対化され、科学性が生まれたと考えられる。21世紀のゲノム医学は、その成り立ちのために、病気の人だけでなく健康な人の情報も、病気の人の病気の時期だけでなく、健康な時の情報も必要とされる。さらに、研究の成果は、人という動物種で99.9%共有されるゲノム情報を通じて、ゲノム研究に関係する人たちにも、関係を持ちたくない人たちへも適応される。このような側面から、ゲノム医学は、個人に対してだけでなく、社会的にも侵襲性をもつ研究である。全ての人に全ての情報を欲するようなどん欲さを持つ研究でもある。
ゲノム情報を利用する社会で重要な個人遺伝情報保護について、日本ではヒト倫理指針の改訂により担保しようとしている。しかし、自分のモノであって、自分だけのモノではないゲノム情報の利用については、個人情報保護の枠組みを乗り越える性質も持つ。

3. ゲノム情報と今の私の健康

今の健康状態とはゲノム情報に支えられる体と、その外にある環境病原菌や化学物質などとの相互作用によって変化するものだと考えられる。健康状態とはゲノムに因る領域と環境に因る領域の重なりあった、広範な領域を意味する。
健康状態を知る手法は、問診に始まり、18世紀は打診、19世紀は聴診に進み、今はレントゲン線、超音波、内視鏡、CT、MRI、血液や尿の生化学的検査となっている。これらの医師の判断に使う情報の一つに、遺伝子検査が入ってくるのである。
ゲノム情報は不変だが、その表現形である「今日の私の健康」は日々変化している。このような「私」は、多くの祖先から受け渡されたゲノム情報、それと同時に多くの子孫へと受け継がれていくゲノム情報の交差点に位置するのだ。

4. ゲノム情報の性質

ゲノム情報の特徴は1)血縁で共有、2)デジタル化できる(ITにのりやすく、モノへの再現性がある)、3)社会で共有される、また、未来を予測できる情報など、様々である。ここでは、デジタル情報性に注目する。ゲノム情報は文字列で表現されるので、比較しやすく、差異が明確であることから差別の恐れを感じる人もいるが、遺伝情報は祖先から子孫へ伝えられるし、一個の受精卵から60兆個の細胞の固まりである人体へと、何度もコピーされる。遺伝情報がデジタル情報であることによって、コピーの作成においてゲノム情報には劣化が起こりにくくなっている。

5. 科学の本質

科学は仮説の上に立つ説明の成功である。科学の本質とは検証性であって、検証性が成り立つためには、モノと情報の共有が不可欠。細胞バンクは誰もがいつでも実験を再現できるようにする環境を支えるひとつの要素であると考えている。

6. 研究と医療

過去の他人の身体を使った医学研究が今の私が浴している医療の恩恵につながっている。医療行為は、動物実験やゲノム情報を使って模索をされた成果でも、先に述べたように、最後は人体で試みるしかない行為である。また、自分に施された医療が失敗しても成功しても、次の医療に活かして欲しいものだと考えたい。個人の医療に関する情報は、医療の現場では共有と個人識別を目指し、同じ情報でも研究の現場では、独占と匿名性を重視する。人の体の情報が持つこの二重性を理解して、全体のシステムを組むことが重要である。

7.集団研究の本質

タバコを吸う人と吸わない人では肺がんになる確率が、どちらが大きいかというデータが良く示される。しかし、実際には喫煙の有無によってガンの種類が違っていたり、吸わなくてもガンになる人はある程度いたりして、数字の使い方により、そこから解釈できることは様々になってしまう。事柄の全体像を記述することによって、物事を判断するのに必要な情報が伝えられることが重要である。
つい最近までは伝染病が大きな健康の驚異であった。それはまた、他人の関与が大きな問題でもあった。しかし、最近問題になる生活習慣病は、個人の健康管理の関わりが大きい。病気観も伝染病に対する対策のような社会的な性質のものから、生活習慣病のように個人主義に向かっていると考えられる。

8.日本の現状

日本の臨床研究指針では、ヘルシンキ宣言の中の「現在行われている医療や医学研究においては、ほとんどの予防、診断及び治療方法に危険及び負担が伴う」という文言が抜けてしまっている。この認識が欠如していることは、「医学の進歩は、最終的にはヒトを対象とする試験に一部依存せざるを得ない研究に基づく」という考え方に基づく、どうしても必要な避けて通れない人体実験を、保護と監視の元で行う体制を政策で支えるという厳しい観点が、日本では失われているのではないかと懸念される。

9.英国の試み

英国バイオバンク活動は、「人を対象とした生物学としての医学」を支える公的な研究資源整備を目指す英国の取り組みである。45-69歳の50万人の英国民からインフォームド・コンセントを得て、病歴、生活習慣などの環境情報と、人体試料(血液、尿、:ゲノムとたんぱく質試料として)を収集し、30年間その集団(コホート)を追跡研究しようとする。
これは、大規模な社会実験であり、市民参加、第三者機関による監視、プライバシー保護にも重点がおかれている。と同時に、最終的成果が意味のあるものとなり、知識の共有のために、この活動の科学的計画についても専門家による検討が重ねられている。知見の共有のために科学委員会による注意深いプロトコール作りが行われ、また、倫理とガバナンス委員会で価値の共有が行われる仕組みになっている。さらに、ゲノム研究の成果を受容できる社会作りのために、Genetics Knowledge Parksと呼ばれる活動が英国全土にまたがる6箇所の地域で行われている。

10.今できること

ゲノム研究は「人間を知る」ために欠かせない重要な研究だから、これを支えるという態度を育てて行くことが大事。それには、私達はこれまでの医学と医療の歴史の積み重ねに支えられており、同時に今、未来の社会を支えていくことを知ることがまずは大切ではないか。

質疑応答 (○は参加者の発言、→は増井さん)

○イギリスの研究の姿勢の中の「目標を単一にしない」という見方がいいと思った。
○多因子疾患(ひとつの遺伝子が原因になる病気である単因子疾患に対して、いくつも遺伝子や環境因子が複雑に関係しているもの)の研究は大変難しい。自分で記入したデータも、その信憑性が取りがたく、重み付けが難しいと聞いている。
○科学研究の成果がなかなか産業化の出口に出てこない原因は、オーダーメード医療に製薬会社が興味を持っておらず、個人情報管理に企業は関わりたくないから。
開発期間の短縮化と動物実験の信頼性が低いという問題が大きい。ここでヒトゲノム情報が有効に使えると、状況は変わるのではないか
→研究段階での投薬はコントロールされているが、市場に出てからはどんな飲み方がされているか明らかでないのが現実。ゲノム研究には疫学データが必要で、それには、個別事例追跡とその情報の集積が必要。臨床現場はトライアンドエラー(試行錯誤)の繰り返しである。
○インフォームド・コンセントの本当の意味は、「失敗しても成功してもあなたへの医療を次の人に役立てたいですか」だと思うが、実際には「安全だから、この医療を受けても大丈夫ですよ」というような安易な説明が多い気がする
→虚構(皆が嘘だと認識していること)と虚偽(本人すら嘘だと言うことを忘れていること)があって、研究者が説明するときに科学の虚構性にたって説明することが、虚偽へと動いて行ってしまう。また、研究者や医師は、弱者である患者に対しては権威あるものにみえる。科学者は市民と企業へ科学の虚構性を説明する責任がある。虚構性を説明するのは、インタープリーターには酷である。そこに、科学者本来の責任は生じるのだろうか。同時に市民が論理的に考える教育が必要。
○相互理解は互いのレベルが同程度にならないと難しい。技術は使い方を間違えると危険であることを理解してコストを考えて冷静に考える習慣をつけるような教育が必要。
○イギリスには議論好きな「パブの文化」があり、これはボトムアップ(下から上へ)。実際にはトップダウン(上から下)も重要。最近はパブリックエンゲージメントといって市民が関与して社会と科学の関係が整っていくという考え方がされている。バイオバンク実施の背景には「イギリスのパブリックの魔法」のようなものを感じる
○個人情報を管理する人の役目の重大さを感じた
○科学者が社会的責任を負っている姿を実感できた
○イギリスでの市民への働きかけについて様子を聞くと、実際には難しいことも多いようだ。いろいろな角度からの研究が必要なのだと思う
○DNA,ゲノムは私の76年の人生で新しい言葉であった。私は孫や子の役に立つなら自分の試料を提供したいと思う。こういう考えを持った人を募集したらいいのではないか。
○スライドの中のことば「どんな社会を作りたいのか」は医療や食、みんなで考えるべきことだと思う。
○日本の生物の教科書ではヒトに関する部分が少なく、米国では生物に入るタバコに対する教育も日本では保健体育に入ってしまう。タバコの害についての確率論的な教え方は確率論が分からない生徒には難しいかもしれない
○一般市民は、バイオサイエンスは自分のことであるのに、無関心で他力本願的な考え方をしていると思い、怒りを感じることもある。日本には全会一致、リスクゼロの文化があり、議論をあえて詰めない習慣がある。難しいと思うが、専門家が繰り返しわかりやすく話すしかない
○米国式のベンチャー支援や英国式のサイエンスコミュニケーションは日本の風土に合わないとすると、日本の科学技術の進歩は本当にうまくいっているのだろうか。そこをわからないまま、我々には外国を見ている気がする

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