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講演会「ジャーナリストからみた科学・技術の進歩」

5月13日(金)、経団連会館において開催された『くらしとバイオプラザ21』平成17年度通常総会に続き、標記講演会を開きました。講師は大野善三氏(日本医学ジャーナリスト協会会長)で、会員を中心とした約80名が参加しました。その内容をかいつまんで紹介しましょう。


大野善三氏のお話

会場風景


1. ジャーナリストとは

世間で、新聞や放送の記者をジャーナリストと言っており、ジャーナリストに対していろいろな見方がある。一口には分類できないが、情報を伝えるだけではレポーターだと、英語圏では言っている。ジャーナリストは歴史を知り、そこに自分のコメントが入れられる見識のある人だと思っている。日本では安易にジャーナリストということばを使いすぎるのではないか。私自身はNHKで健康関連番組のディレクターだったが、ジャーナリストといえるのかどうか、疑問に思っている。一般的に、ジャーナリストはその見識を大事にしてほしい。


2. 科学技術の進歩を市民が享受する

イギリスの結核患者死亡者数の推移を見ると、1882年の結核菌の発見、1940−60年の化学療法やBCGの発見以前から結核死の減少が始まっている。これは市民の衛生思想の高まりが、死亡者数を減らしたことを示している。市役所職員の指導が医者の治療より大きく影響を与え、市民が進歩した結果だということがわかる。専門家の知識が先導はするが、それを実行につなげるのは庶民である。科学の進歩のプラスもマイナスも庶民が担う。科学技術の成果を庶民が享受してきたが、同時に、その責任も庶民にある。ジャーナリストは専門家と庶民の間にあって、その橋渡しの役目を担っている。


3. 日本の科学の啓蒙時代

私は子供の頃から理数系は苦手だったのに、1960年代のテレビ拡張期にNHKの科学教育部に入局した。そのころは第二次世界大戦敗戦の反省から、科学技術を啓蒙する時代で、新聞社などの報道機関に科学部ができた時でもあった。倫理学者 和辻哲郎が戦後著わした「鎖国」に影響されたのである。その中に、16−7世紀、日本に南蛮渡来を通して新しい科学が入ったのに、鎖国でその動きを封じて、結局、科学・技術の発達が遅れてしまい、その流れが第二次大戦に至って、「根性」という精神主義で立ち向かうようなことになってしまった。第二次大戦の敗因は、1635年、徳川家光の鎖国令発布にあったと、著者は批判している。宣教師がキリスト教を広めると一緒に、欧州国家が侵入してくるのではないかと、権力主義者の豊臣秀吉は恐れ、鎖国思想を展開するようになったと、著者は言っている。その後、著書「鎖国」への批判が行われ、鎖国があったればこそ、徳川時代は国内でそれなりに成熟して行ったという評価もされた。 NHKの科学技術の啓蒙時代には、テレビ、ラジオでいくつかの科学番組があった。たとえば、ラジオの「科学千一夜」「科学クラブ」や、テレビの「科学時代」「四つの目」(ためしてガッテンのもと)などである。これからは、科学番組をますます活発にし、体系的にきっちり科学的な考え方を勉強させるべきだというのが、一般的な思潮であった。啓蒙時代が過ぎた今は、科学・技術的な見方も定着してきている。ただ、電子媒体が視聴者を喜ばせることに傾きすぎてはいないかと感じている。

世の中の推移をみると、啓蒙時代→普及時代→社会化時代と時代は流れた。三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の普及と共に、疾病構造も変化してきた。結核を始めとする感染症は抗生物質で退治され、高血圧や動脈硬化を基礎とする成人病が主流になった。昔の国民病は肺結核だと言われたが、今は糖尿病がその位置を占めている。ただ、感染症は抗生物質の普及で少なくなったが、抗生物質が出回って半年もすると耐性菌が現れてきた。そして、エイズの蔓延と共に結核が漸増し、今も感染症はなくなっていない。

1980年代から、個人への配慮が盛んになり、患者の権利が意識されるようになった。生活の質やインフォームド・コンセントも重視されるようになった。米国では、1970年代に全米病院協会が『患者の権利宣言』を決めた。それに習って日本でも患者の権利が重視されるようになってきているが、まだ充分には普及していない。ヘルシンキ宣言で規定してあるように、医学研究にも患者の意向が大切になってきている。医療を受けるほうでなく、与える方が考えないといけない時代になってきている。ただ、患者の権利が強化されたのはよいが、日本では個人の確立が不充分で、まだ医者の選択に従おうとする「お任せ医療」が多い。今後は、患者側が選択の責任を負う機会が多くなると思う。

そのことが、科学技術を進歩させる。科学技術の進歩を支えたのは個人の要求である。それは同時に、人権を重視させ社会を変える。この相補関係があるということを考えておかねばならない。私がNHKに入局した頃は、大学医学部の教授に完全に命を預けていたが、現在は、命は患者本人のもので、医学は患者に資料を提供しているに過ぎない、と考えられるようになってきている。


4. アインシュタインの取材を通じて

生物学の世界にも、アインシュタインのような天才が生まれるのではないか。アインシュタインはニュートン力学(計測者が不動)で説明できない現象(計測するほうもされるほうも動いているとき)があるとして、1905年に特殊相対性理論を提示し、1915年に一般相対性理論を発表した。科学は原則として、観測→計測→実験→法則という順序を踏む。バイオも客観的であるべきであるとして科学的に研究されているが、生物は個々で異なっており、物理学のように何度繰り返しても同じ答えが出てくるというふうに一般原則化できるとは思えない。生物学が全面的に科学で説明できてはいない。だから、科学の一つとして分類できるのかどうか疑わしい。人類はいま、生物学、人体生物学である医学が科学だけで説明できない要素を抱えていることに困っているように思う。困った問題を抱えたときには、大天才が現れて新しい法則を打ち立ててくれるのではないか。アインシュタインを取材して、そんなことを考えた。


5. ホスピスの出現

アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアにあるホスピスを見学して歩くツアーに参加したことがある。中でも、NHO(ナショナル・ホスピス・オーガニゼーション)副会長のアイラ・ベーツ氏に最初に会ったことは意義深かった。彼氏は、「ホスピスこそ近代医学の拡大である」と言った。もう15年も前になるが、当時アメリカには2,000に近いホスピスあるいは緩和ケアのシステムがあった。北バージニアには、3人の看護士が集まり元小学校の校舎を利用してホスピスを作ったということであった。アメリカでは、何でも上から施策する日本と違って、手作りのホスピスで末期患者の医療活動を始めたのである。

病人が医学で手に余る状態になって手をつけなくなると、医師は「現代の医学でやるべきことを総てやりましたが、助けることはできませんでした」と言ってさじを投げた。末期症状が神経などに現われ、医学から見捨てられた人たちを宗教家などが中心となって世話をしていた。がん末期の痛みは精神療法だけではすまないので、麻薬を使って、がん末期の症状に対処するようになり、現代のホスピスは病院の中で行なわれるようになった。

近代ホスピスの元祖といわれているシシリー・ソンダース氏は、1960年代ロンドンの病院の看護婦でソーシャルワーカーだった。その中心は神であり、「科学や医学の原点には神があり、私たちは神から人間を助けるという使命を与えられている」と彼女は考えている。医学は知識だけではではない。彼女は、ガン末期に対する医学がまったく整っていなかったときに、ポーランド人の患者から「自分の遺産を使って医学部に入りなおして、がん末期の痛みについて研究してください」、といわれた。これが基になってホスピス運動は全世界に始まった。現在は日本でも、緩和ケア病棟がたくさんできている。2004年の全国統計によると、138病棟、2,608床になっている。ただ、ホスピスにしても緩和ケア病棟にしても、ケアする人の心が大切だが、医学は知識という側面がまだまだ強く、精神面が弱いと私は感じている。


6.科学の進歩と市民の保守性(市民とのギャップ)

岐阜大学の黒木登志夫学長は国際がん研究機関で研究生活を送ったことがある。そのときに、がんの原因物質は88種類、可能性の高いものは64種類、がんの原因になる疑いがある物質は236種類あると理解した。ところが、日本で市民に、「がんの原因になるものは何ですか?」と質問をすると、専門家と市民の認識にはずれのあることがわかる。(以下の単位は%)

○イギリスの疫学者が考える発がん性の原因は、 食事36、喫煙40、感染10、性生活・出産7、そのほか(職業、アルコール、地域など)である。
○日本の600人の主婦の考えるリスクは、食品添加物43 農薬24 たばこ11であった。
○内閣府・食品安全調査会が、「がんの原因物質はなにか?複数あげて下さい」と主婦にお願いしたところ、以下のような回答が集まった。 タバコ 92 放射線 75 大気汚染・公害73 食品添加物 70 農薬67 紫外線 66 ウィルス34 遺伝子組換え食品33  おこげ 25 医薬品22 お酒10 普通の食べ物 8 そのほか13。

 専門家は、日常の食品の中にがん原物質が含まれていると判断しているのに対して、一般市民は、食品添加物や遺伝子組換え食品が危ないと考えている。科学・技術が進歩発展する途中では、こうしたずれの生じる側面も見られる。


7. 健康管理の二面性

健康は、個人的には幸せの原点である。と同時に、国家にも大きく貢献する。ピンピンコロリ(亡くなる直前まで元気に暮らせる)は個人の理想だが、医療費が増大する少子高齢社会には殊の外有効である。だからであろう。サプリメントへ飛びつく人は多く、その市場は1兆円になると聞く。ただ、中には怪しいものもあって、服用したために死亡した例もある。とても高価なものも含まれているので、使用には慎重であって欲しい。
健康管理という言葉は目新しいものではない。ヒトラーはナチスを健康国家にしようと目論み、健康管理を国家管理のひとつの柱と考えていた。優生保護法をベースにユダヤ人を大虐殺したことは有名だが、その原点の思想はナチス以外にある。米国のラベンポートは優生保護法の必要性を論文の中で強調しており、精神病患者にはこどもを持たせないように述べている。
国家が政索として健康管理にエクセントリックに乗り出すときは、国家が個人を強制し、統制政索を推進するので、優生学が強圧的に働く可能性があり危ない。いまは、健康管理という言葉は個人の自由を優先させる社会で使われているが、同じ言葉が国家統制の社会で使われた経験のあることを忘れてはならない。


8. 遺伝子時代の個人の選択

イレッサ(一般名:ゲフィチニブ 非小細胞肺がんに対する分子標的治療薬)事件を通して、遺伝子時代の報道の役割について考えてみたい。ある新聞が、イレッサを服用したために100人以上が死亡したと伝え、この薬に対して厚生労働省の認可が早すぎたのではないかと論調した。しかしこの記事には、イレッサで助かった人に関する情報は全くなかった。ガン末期で藁をも掴む思いでこの薬を望んだ患者さんには、何の配慮もしなかった。このような一方的な情報伝達は、科学時代に許しておいてよいとは思わない。
勧善懲悪の時代は終わった。価値観が多様化している現在には、報道のあり方もみなおすべきだと思う。せめて、死亡した患者がいた反面、助かった患者もいたことを伝えて、読者の判断にゆだねるべきではないだろうか。
その後、厚生労働省の指導によって製薬会社が調査した結果によると、イレッサは、非喫煙者、PS(パフォーマンス・ステータス)1−2、東洋人、女性に対して効果が現れることがわかった。
この新聞記事からわかることは、薬の情報の出し方によって、今後の新薬研究のブレーキになる恐れがあることである。薬を使う患者のことも考えなくてはならない。科学技術が進歩する時代のマスコミの役割は、古い事件記者の感覚では勤まらないことを自覚すべきである。


9. まとめ

科学技術の進歩は個人の選択を求める。その選択に必要なのは情報開示であり、選択の自由を保障することである。それが、選択肢を豊富にする。ただ、知ることの権利の行使には、知る義務の伴うことをも伝えなければならない。それが、マスコミの役目である。





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