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第13回バイオカフェ(茅場町リリー)開催レポート
「心に残る食育」

12月9日(金)茅場町リリーで第13回バイオカフェを開きました。スピーカーは女子栄養大学出版部三保谷智子さん。お話は「心に残る食育〜編集者の立場から」。 高橋節子さんのバイオリンの演奏で始まり。曲はバッハのブーレ、クライスラーの愛の喜び。

心に響く高橋さんのバイオリン 「栄養と料理」のはじまりは、


三保谷さんのお話

「栄養と料理」の始まり
香川綾さんは、母を若いころ、病気で失った。師範学校を出て教師になったが、やめて女子医大に入学。医者として栄養不足、衛生状態が悪い中で、食物で健康になることを目指し、医者の夫婦で私塾を始めた。「栄養と料理」は講義録にあたる。
胚芽のついた精米方法を研究し、兵士、給食に普及させ成果をあげた。

現実の食生活
戦争が終わり、日本に世界中の食物が輸入できるように、食物はたくさんあるのに、糖尿病、高脂血症、高血圧、ガンが増えた。国民の健康づくり運動として、5年前に2010年を目途にした「健康日本21」が発表されたが効果はあがっていない。
食育基本法も作られた。食育は高齢者、こども、学生、母親、勤労者などみんなのもの。
外食、コンビニなど手をかけないで24時間、お金があれば誰でも食べられる時代になったが、世代により食事に偏りがある(カロリーとりすぎ、脂肪のとりすぎ)。

食べ方を知る
全員が食の専門家になる必要はないが、食べ方を知っていることが大切。健康の指標を持っていれば外食も、コンビニの利用もいい。
情報過多のせいで、エネルギーになる穀物を取らず、主菜を取りすぎる傾向がある。
4群点数法の1日20点(1600カロリ)を基準にするとわかりやすい。
塾の合間に駆け込む子供が、ファーストフードで、牛乳やジュースをコーラの代わりに飲む、ファーストフードでなくコンビニでおにぎりにするというような応用が利くようになれるといい。

人間はなぜ食べるのか
食べないと体調がくずれる。体の変化と食べ物の関係に気づかない人がいる。
食が細くなっても適切な食べ方をしないと、老齢まで楽しく生きられない。
食のスタイル(一汁二菜など)を知らない人が、健康のバランスをくずすのが問題。

食育の事例紹介
○3−3.5歳の料理教室
企業によるとりくみで、村上祥子さんの提案。
自分でやれることが楽しい年齢に限定し、切った食材、電子レンジと密閉容器のジプロックだけで作る。取材したときのメニューは、トマトソースのやきそば、魚どんぶり。
生活体験のある子供とそうでない子供の差がみえる。まっさらなときに体験をさせるのはすばらしい。体験の場所は保育園、家庭など、どこでもいい。
○出前授業
川口市では、総合学習として、住民参加による食、環境、ゴミなどをテーマにした体験学習をしている。
○群馬県の食育運動
食育カルタでは、読み句を募集して県民でカルタを作ったり、教材を作ったりしている。
食育を「この地域でどんなことが必要で、何ができるか」というアプローチとして行っている。
子育ても同じはず(親のポリシーがあって育てないと、影響を受けるばかり)
○小中学校9年間の一貫校の食育プルグラム
愛知県西尾市は抹茶の生産で有名な地域で、三世代同居も珍しくない。
食事調査を各生徒に行い、問題点を抽出している(国レベルでは毎年国民栄養調査を行い、それを国の施策などに反映させている)健康日本21も国民の食事調査を行ってから作った)
親の了解を得て、生徒の血液検査や中学2年生の貧血調査を実施。
○スポーツ食育
プールを活用した栄養士さんの活動 静岡県
○プルプルサイエンス
くらしとバイオプラザ21が主催。食育の基本は科学 加熱で色がかわる、水に放すとアクがぬけるなど、身近な食の不思議に、こどもの時にふれさせたい。
○子育て支援事業
練馬区で中高年の人がこどもの預かり場所を開いている。土日にはパパを巻き込んだお料理教室を開催。

香川綾のメッセージ
食事は栄養バランスでなく、調理する人の愛が加味されないとだめ。
健康とは自分の能力を100%発揮できる状態。できないのは不健康か、怠けているから。
女性は長生きをしてできるときにできることをあせらずにしましょう。
食はコミュニケーション。誰とどこで食べるかが大事。

まとめ
身近な生活の中に科学的な情報の見方、関心を持つと面白い。
台所には視野を広げるヒントがある(ゴミの行方、食料の行方、どこから食べ物が来たの、どんな人が世界にはいるの)
食育をひろげていきたい!



会場風景 食品の話は、誰でも関心がある


〜今回はクリスマスプレゼントで、
ここでもバイオリンの演奏。ボッケリーニのメヌエット〜


質疑応答
(○は参加者、→はスピーカー)

○糖尿病などで食事制限をしている人がいる。コレステロールを下げるのに、卵を減らせといわれる。いろいろ難しい。1日1600カロリーだといわれても、今食べているものがどのくらいの熱量かをわかりやすく知る方法はありますか→男性で背が高ければ2100くらい食べないとだめ。80キロカロリーを1点として、栄養の特徴によって食品を4群に分けて覚えて実行するやり方がある(四群点数法という)。1群(卵、乳製品)卵ひとつ、牛乳4分の3カップなどは1点。2群のたんぱく質の食品だと、肉や魚を100グラム食べると1点を超えてしまうので注意。3群では、野菜350gで1点、芋100gで一点、果物200gで1点を食べるとよい。
○簡単な表はあるか→カード式のものもあるが、過度なエネルギー制限は不要。運動と食事への気配りでかなりの方の体重が減るはず。野菜を多く食べましょうという運動、「ベジフルセブン」、「ファイブアデー」などがある。小鉢は70グラム、野菜炒めは140グラムと覚えて、一日に食べるお皿の数を意識する。
○毎日できなくても1週間単位くらいでとらえていいのですね→YES、メタボリックシンドロームといって、糖尿病、高脂血症、高血圧などを代謝異常で捉えてひとりの患者をみようという考え方がある。メタボリックシンドロームはカロリー過剰症ともいえるし、運動不足は運動欠乏症という病気だと考えられる。食べたものを書き留めてみる、「行動療法」もある。
○旬には旬の物を多く食べていいのか→30品目は守るより、旬の恵みを受け取りましょう。
○体重が運動や食事の結果なので、体重の維持、太りすぎている人は少しずつ減らせばいい。野菜が少なく、油が多すぎる。病院食を食べてみて、今まで野菜が少なかったと自覚。一回は食事の重さをはかってみて、自覚し、体重維持を心がけている。月単位、年単位で変わらないようにする、少しずるならがまんできる→すばらしいですね。
○若い女性は二分脊椎のこどもが生まれないように葉酸が必要である。日本ではないのではないか。
○マルチビタミンという形で葉酸も含まれている。
○高齢者の認知症は低タンパク、低アルブミンで、食べたくなくなる。高齢者こそ、バランスのよい食事と寝たきりにならない努力→周りが気をつけないと低栄養になりやすい。ヘルパーに食の技術を勉強させている、介護士という資格が高齢者に適切な食事を提供できるように勉強する講習会もある。良質なたんぱく質を食べやすくすればよい。食事の不都合でのどをつまらせないように、食べる能力にあわせた食材の切り方もあるはず。冷蔵庫の中のもので作れないヘルパーがいる現状もある。
○高齢者は鉄分も取りにくい→鉄分は取りにくい栄養素。青菜、レバー、赤みの肉。
○三保谷さんがご自分が気をつけていることは→バランス、自分の食嗜好に気を配る。肉を食べたら野菜がないと食べた気にならないので、それを家族にも「洗脳」した。家族で食材はどこから来たかを話題にする。午後10時に帰宅しても作って食べる。料理で頭を使うこと、食べることは楽しい。取材先でいただいたものを使って作るのは、実験の面白さ!中食産業、外食産業もよいものがあるので利用しましょう。
○品川駅などは駅の中で買い物ができるところもある。
○風邪をひきやすいと思うと外食が多くて野菜が少なかったと気づいたりすることがある。
→風邪をひきやすいときにビタミンC アスコルビン酸を食べる。たんぱく質が多すぎる便秘になりやすいのは本当。
○次の世代の食育について。→小さいときから親子で食事を作ればいい。
○男女平等といっても男性は帰宅したときには、ご飯ができているものだと思っておられますか→それはベスト。
○単身赴任時代は自分で考えて作ってわけて冷凍していた。男性も、電子レンジがあるので自炊は可能。
○食物について知らなすぎる。賞味期限、消費期限をメーカーはつけるが、腐ったものを見たことがないので、こどもはしまう。食品の原形を知らない、肴は切り身で泳いでいると思っている。
○包丁を使わず、はさみを使う人もいる。
○食育という言葉が生まれたのは→明治時代に村井弦斎という人が唱えたと記憶している。 
○薬では創薬にたいして育薬(薬を育てる)、薬育(麻薬にこどもが走らないように、薬物乱用に走らないように幼稚園、小学校から教える、)。
→食育は知育、徳育、体育、食育のひとつ。
○食育の最大の目的は→各個人が快適に健康に暮らすために、食べ方を食べ方、国際感覚をもち、食べることに自立できる人を育てること。食を通して人が育つ。調理技術だけではない。


村井弦斎について、後日、三保谷さんから文献をいただきました。
 1863年、現在の愛知県豊橋市に生まれる。小説家、ジャーナリストなどとして、多方面で活躍した。1903年、「食道楽」を新聞小説として発表、単行本(全4巻)になったときの売り上げは明治の四家(尾崎紅葉、幸田露伴、坪内逍遥、森鴎外)の合計を上回った。食の研究、実践に進み、40歳で「婦人世界」(実業之日本社)の編集顧問に就任。記事全体の3分の1を一人で執筆したこともある。
出典:栄養と料理2005年4月号「明治時代に食育を説いたベストセラー作家がいた」、「食道楽の人 村井弦斎」(黒岩比佐子 著)


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