アクセスマップお問い合わせ
総会記念講演会「科学報道とリスクコミュニケーション〜報道現場からの報告」

 2009年5月15日(金)、銀座ラフィナートにおいて、NPO法人くらしとバイオプラザ21通常総会後、標記講演会を開催。講師は読売新聞社編集委員(くらしとバイオプラザ21理事)の小出重幸さんでした。

小出重幸さんのお話 会場風景

主なお話の内容

私たちが扱うのは森羅万象
新聞社の科学部が扱うニュースは、医学、医療、「BSE」、「遺伝子組換え」などの食の安全、「水俣病、ダイオキシン」など環境・化学物質、宇宙ならば「天文、宇宙開発」、このほか、地球環境ではエネルギー、生態系保全、気候変動問題、基礎科学ならばノーベル賞や「ナノテク」など、きわめて広い領域をカバーしている。
1998年に環境ホルモン騒動が起こったが、その背景には、「奪われし未来」(コルボーン著)という書籍があり、内分泌撹乱を起す化学物質への警鐘が鳴らされた。そして、カップ麺問題では化学物質が熱湯で溶出するという報告があった。これが報道されると実際のリスクをはるかに超える受け止め方が広がり、大きな騒動になってしまった。政府はダイオキシン対策に多額の予算を支出、廃棄物焼却炉の改善は進んだが、母乳の安全性が疑われるなど、社会の混乱も大きかった。一連の騒動にメディアが果たした役割は大きく、これをきちんと検証する必要がある。
新聞報道では、環境ホルモンは生殖異常を起す可能性がある物質であるという表現でスタートしたが、様々なメディアの中で表現がエスカレートしていった。週刊誌、テレビのワイドショーなどでは、人類絶滅とか、凶器の猛毒などと表現されるに至った。しかし、98年4〜5月をピークに新聞記事の数は急速に減少、年末までに報道の面での混乱はかなり収まった。
結果的に、メディアの表現のいいかげんさが混乱を引き起こす原因となっており、メディアとして総括、反省する点が多い。環境中の化学物質が、人間の健康や野生生物の生態系に影響を与えることは当然予見されるが、すべての物質にその毒性、悪影響があるわけではない。問題点、クリティカルポイントを明らかにすればよい訳で、冷静な分析、評価だけが現実の課題を解決できる。こうした常識論がどこかへ消えてしまった騒動だった。

リスクコミュニケーション 原子力
柏崎刈羽原子力発電所で2007年7月に地震被害があった。原子炉3号機の真下の地震計には想定以上の負荷がかかった。現地調査が3回行われた。地震規模は設計の想定より大きかったが、被害は限定的で軽微だった。使用したものを貯蔵するプールの水が飛び出し、一部が配管を通って海に出た。自然放射能で許容できるレベルだったのに、安倍首相が電力会社は嘘をついたと発言したことから、リスクコミュニケーションがうまくいかなくなった。後になってみると、この設計は地震に強く、世界的に貴重な価値があることになる。
担当者は、まず原子炉を止めた。外では変圧器で火事が起こっていたが、燃えても非常に危険なものではなかったので、担当者は気にしなかった。液状化で消火用水の配管が切れて消火が進まなかったために、燃える映像が長時間、世界中に流れた。原子炉の安全性は守られたのに、素人にはチェルノブイリの爆発と同等に見えてしまった。 こうして、リスクコミュニケーションに失敗したことになった。
そのころの状況を振り返ると、休日で人手がなく、4日間も記者会見が行われず、現地の説明をする資料もなかった。現地で働く人にとっては、深刻な問題はなかった。広報の対応は東京でやってくれると思っていたが、東京では現地の情報がなくて記者会見ができなかった。また、現地では道路が切れてメディアもなかなか現場に行かれない状況だった。風評被害の影響で、セリエAはこれを理由に、当地での親善試合を中止し、新潟県内のホテルではキャンセルが続出した。
「事の軽重を知らせてほしかった」という塩崎官房長官のことばが象徴的だったが、東京電力はこれをきっかけに、東京の広報クルーをヘリコプターで現地に送り込む体制を構築。

新型インフルエンザをめぐる状況
4月28日に豚に由来するインフルエンザ患者のニュースが流れた。
うがい、手洗い、マスクは大事だが、飛沫感染の意味が理解されずに、マスクそのものに意味ができてしまった状況。日本人だけがマスクをしているが、マスクをすれば大丈夫だとの誤解を生まないだろうか。シンガポールや中国南部でもマスクが売れている。

リスク
日本では、リスクというと、安全と危険のどちらかになってしまい、グレーゾーンをどう理解するかという議論がない。
例えばクロイツフェルトヤコブ病のリスクは落雷より小さく、入浴中に水死するリスクは落雷より大きい。リスクの大小がよく認識されていない。
ブレイン・ストーミングのテーマになるような問題はいろいろあるが、それらのデータを客観的に扱う習慣が我々にはない。例えば、東京とニューヨーク間で受ける放射線被爆量と宇宙船外活動、伏流煙と護摩、遺伝子組換え技術を使ったワクチンなど。
科学への理解を促すのに、電磁波(電磁波グッズをどう考えるのか)、マイナスイオン(家電メーカー技術者の苦悩)、ポリフェノール(一面だけが強調されている)などの問題はどう伝えていくのか、メディアの姿勢も問われる。
この背景には、日本の教育があると思う。明治以来、殖産興業と富国強兵のために文系と理系を分けて教育してきた。明治維新からだいぶ経った今も、相変わらず「科学は文化」になっていない。文系と理系の乖離や科学離れ。

ニュースの特性
目立つ、新しい、珍しい、驚くようなニュースが記者に好まれる。
社会の向かう方向や新たな傾向、潮流に敏感に反応し、理屈・論理よりも感動が先に書かれる。原稿の締切時間があり、正確さより入稿の早さを問われる。
メディアの種類によって扱い方も異なる。新聞とNHKニュースの扱う範囲は余り面白くない。スポーツ新聞、民放テレビのニュースの方が市民の興味をひく。テレビでは、ニュースと娯楽の境界をわかりにくくして提供した方が面白いなどの違いもある。
科学ジャーナリストは、しばしば「専門家」と間違えられるが、専門家はジャーナリストの取材先にいるのであって、ジャーナリストは専門家ではない。もし、何かプロフェッションがあるとしたら、それは毎日、飛び交う情報を、社会の中で「ニュース」に仕立て、送り出す技術だろう。それは、飛び込んできたニュースや情報を、社会という座標の中にプロットし、ベクトル(方向)、スカラー(量)を与えて、ニュースとしての意味を作り出す作業。このニュースが、どこから来て、どこへ行こうとしているのか、その相場観を提示することがジャーナリストの役目だと思っている。
これがメディアの「ジャーナリズム」としての機能だが、一方、メディア、マスコミには「娯楽の提供」という、もう一つの重要な役割がある。この境目が最近、娯楽側から不明瞭にされつつあり、これが、社会の混乱の背景にもなっている。
ニュースの受け手である、読者・視聴者は、この二つを峻別して、それぞれを見極めて欲しいと思う。

質問
「遺伝子組換え食品への拒否感が解かれないが、どうしたらいいでしょうか」
→当初、表示せずに情報がでなかったこと、メリットとして安くなること、組換えということば使ったことでコミュニケーションで躓いてしまった。ヒトインシュリンや新型インフルエンザワクチンが遺伝子組換え技術で作られていることを知らせるのはいいと思う。

(文責 事務局)


 
談笑される小出重幸氏(左)、くらしとバイオプラザ21大島代表(中)、正木副代表(右)