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バイオカフェレポート「放射能のリスク〜私なりのわかりやすい伝え方

 2012年7月13日、サン茶房でバイオカフェを開きました。
 お話は毎日新聞生活報道部小島正美さんによる「放射能のリスク〜私なりのわかりやすい伝え方」でした。東日本大震災後、2011年4月8日バイオカフェ「食品中の放射性」を開いて1年余。皆で振り返って考えようという企画でした。読者によく尋ねられる質問に、どのような説明が専門家によってなされていて、小島さんはどのように説明されるか、参加はどれがいいと思うか、活発に話しあいました。
 初めに安田貴裕さんによるバイオリン演奏でした。オペラとバレが主流の19世紀、演奏者でもある作曲者(パガニーニ他)による小さい部屋に適した楽曲が選ばれ、演奏されました。

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小島正美さん 安田貴裕さん

小島さんのお話の主な内容

よくある質問に対して
児玉龍彦先生(循環器内科、代謝が専門)、山下俊一先生(放射線と甲状腺がんが専門)のどちらを信じたらいいかとよく尋ねられる。「①その人の専門分野は何か、②所属している学会から支持されているかどうかを配慮するのがいいと思う。できれば、その人の論文をみください」と私は回答している。
どちらもすぐれた学者だが、こと放射線の健康影響で見れば、放射線生物学の研究者のほとんどは山下先生を支持しており、児玉先生の論文は他の論文の引用が多い。私は山下先生が正しいと思う。もちろん、水俣病のように、少数派が正しかったこともある。
自分のがんの治療方法を選ぶときにガイドラインにあたる標準治療を拒否し、少数派の唱える治療を選ぶ自由もある。どの専門家の意見を採用するかは自由。
新聞は学会の勢力図には触れず、両論併記で書く。科学的な確かさは新聞からはわからない。メディア情報は一面的だと思った方がよい。例えば、7月の朝日新聞に甲状腺がんの記事が載っていたが、明らかにおかしい。その問題点は誰も教えてくれない。

放射線の浴び方による影響の違い
食品安全委員会は「生涯累積100mSv以上で健康影響がある」と基準を示した。古川宇宙飛行士は半年で180mSv浴びて帰ってきた。山崎直子宇宙士は帰還後、出産している。食品安全委員会の基準を超えても、健康でいられ、かつ出産もできるのはなぜか。これは徐々に浴びているので影響が小さいため。180mSv/半年とは、1mSv/日で、毎日20回のレントゲン検査を受けているのにあたる。
医療従事者の加藤さん(76歳)は生涯で500mSvを超え、宇宙飛行士より多く浴びているが何でもないという学会発表がある。これも徐々に浴びているから。
92歳の世田谷のおばあさん(床下に放射線源があった)は大量に浴びていたことになる。被ばく線量が100mSvを超えても、徐々に浴びている場合、リスクはゼロではないが、極めて小さい そんなに心配しなくていい。大事なのは、人は放射線の悪影響を修復する力を持っていることだ。この点を多数の学者が強調しているが、メディアではあまり伝えられていない。
逆に、妊婦がバセドー病のX線治療を受けるときは4.7億ベクレル浴びるが、X線は甲状腺に正確に照射出来るので、胎児に影響はない。
医療被曝はガンを治すためだから、ガンのリスクは仕方ない。宇宙飛行士やパイロットは目的があるから許されるが、原子力発電所からの「無用な被曝」は許せないという議論がある。これをどう考えるか。
あなたがあびている無用な害は0.002〜0.1mSv(食事からとっている内部被曝)程度。岐阜(自然放射線が日本で一番高い、最も低いのは千葉と神奈川。この差は0.3mSv)で1.19mSv。千葉に住む私が、岐阜県の実家に1年住むと0.3mSv、無用の害を受けることになる。セシウムによる無用の被ばくはこの千葉と岐阜の差よりも小さいので、心配する必要がないといえるのではないか。
人工と自然放射線の健康影響は全く同じ。私にとっては、原子力発電所から受けた無用の害より、岐阜県で受ける自然の放射線の影響の方が大きいことになる。
こういう説明を聞いて、わずかな原発の放射能なら、気にしなくてもいいのかなという人も出てきた。この説明を自分では気に入ってる。

ガンのリスク
放射能によるガンのリスクと生活習慣によるガンのリスクを比べる。古川宇宙飛行士が180mSvを一度に浴びたとすると野菜不足くらいのリスクになる。飲酒と喫煙は2000mSvを一度に浴びたときのリスクに該当する。古川さんは一度に180mSvを浴びることになっても行っただろうか。野菜不足と同じ程度でも、健康影響があるので微妙だ。
宇宙食は、放射線によるDNA損傷の修復に効果のある葉酸を強化してある。抗酸化食品(ビタミンC、ビタミンEなど)となっているのも宇宙食の特色だ。原発事故で不安な人は、宇宙食のように葉酸の多い食事をしたら、DNA修復が促進されるのではないか。
肥満との関係を示すネズミの実験がある。カロリー制限したネズミへの放射線の害は小さく、満腹するまで食べたネズミの方が大きい影響を受けた。
徐々に浴びると、DNAが壊れてもすぐに修復するので、次に浴びるまでにDNAの傷はゼロに戻っている。光などの電磁波によるがんも一度に浴びるのと、徐々に浴びるのでは影響が異なることがわかっている。

本当のリスク
東京でさえ鼻血が出ると内部被曝のためだと思ってしまう人がいる。そういう人は確率が1億分の1でも心配だから、こどもにはゼロベクレルの物を食べさせたいという。そういう人にどう反論すればよいか。
子どもの死亡原因からみて、リスクが大きいのは水死、感染症、階段からの落下など。子どもを安全に守るなら、水死、落下のリスク対策が先ではないか。
ワクチン接種の副作用で死ぬのは嫌だが、ウイルスで死ぬのは仕方ないという考え方と似ている気がする。
発がん性物質(ひじき、ポテトフライ、魚のこげ)はいいが、人工でできた発がん性物質は嫌というのが人間心理。

記事になりやすいストーリー
肥田舜太郎医師は被爆者の立場に立って、内部被曝防止のための活動をしている。物語として美しい。新聞記者はどんな人生やストーリーも美談にする。異端の社会活動家は美談になりやすい。肥田氏は立派な医師だが、肥田氏を取り上げるときの記事の作り方、記者の意図が要注意といえる。
原発事故による放射線リスクは一部の地域を除き、小さいというと「それなら、福島に住んでみなさい」とよく言われてしまう。その気持ちはわかるが、これでは建設的な議論にはならない。皆が「弱者になれ」といういい方は悪平等志向で、皆が仮に弱者になっても幸せな社会とは言えないのではないか。それでは弱者を守る人、弱者を守る社会を支える人がいなくなる。自分のできる最善のことをするしかない!皆がそれぞれできることがあるはず。私は、福島の桃を取り寄せて食べる、そして、福島の記事を書く。これが私の出来ること!

受容されるオピニオンリーダー像
研究者が泣きながら福島で除線活動をされる姿は広く受容されるが、山下先生が「1mSvをこえても大丈夫だから外で遊んでいい」といえば、おそらく聞き入れられない。普段、危ない、危ないと言われる児玉先生が「外で遊んでいい」といわれたら、信用されるだろう。同じように言っても、人は同じように受け取るわけではない。自分の信用している学者の言うことしか信用しないというのが人間の心理。
メディアは万人が満足する情報を出すことはできない。どちらの記事を書いても文句はくる。そのときは、覚悟して書くしかない。
私は除染対象地域の千葉県北部に住んでいて、毎時0.3〜0.4μSvを浴びている。体内のセシウムを調べたら検出限界以下。カリウムは食品から摂取するから2790Bq。つまり私が赤ちゃんを抱くと、赤ちゃんは私が出す放射線を受けることになる。

不安の声を拾うとニュースになる
北海道新聞は、福島に住む人のうち、あえて不安だという声を拾って記事にした。唐木先生は安全だと言っているのに、松本市長の「免疫が低下するとがんになるので心配」ということばで記事を結ぶ。例えば、福島の街頭インタビューで10人中、1人が不安だというと、一人の不安を記事にする。福島には前向きに活動している人も多いのに、それが伝わってこない。
リビアで1割がデモをして、9割が普通に暮らしていても、デモが記事になる。

メディアをどこまで信じるか
普通の記事はいいが、「何かが危ない、何かに効果がある」という記事にはバイアスがあると思ってほしい。
ニュースの方程式=特異的(面白い)×物語(ストーリー)×アクション
小佐古先生と児玉先生が泣きながら会見して、世の中は変わった。福島県以外では心配ないと多くの専門家は思っているが、誰も言わず、アクションも起こさない。生物学者100人がデモしたら、すぐニュースになるが、やらない。市民団体はすぐにデモをし、ニュースになる。また、記者の「意図」もニュースになるかどうかのポイントになる。
フジテレビを取り囲むデモ(1万人)があった。韓流ドラマ放映に反対するものだったが、これはニュースになっていない。反中国のデモもニュースになりにくい。反中国の動きをニュースにしないのは記者の意図だろう。


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会場風景1 会場風景2

話し合い 
  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • 小島さんの言い方は原発擁護派のように聞こえるが、小さいリスクなら原発を使ったほうがいいと思うか→2012年、化石燃料などエネルギー輸入に3兆円かかっている。来年から4〜5兆かかるだろう。この費用で保育園ができればよいのではないかと思う。合意を阻害する人(反原発)と合意しようとする人がいて、阻害する人たちは強い。ダイオキシンのときに私も警告記事を書いていたが、今は経済が命を守ることもあると伝えたいと思っている。
    • 科学的に正しいかどうかを判断するとき、学者から支持されているかどうかと、どこから予算をもらっているか、電力関係の会社からお金をもらっているかもみるべきだと思う。 電力会社に都合のいいデータが蓄積されるのではないかと思う。
    • 私自身の研究者だが、専門の研究者はお金をもらっているので信用できないというのは誤解がある。児玉先生はアイソトープ(放射性同位体)総合センター長。私も児玉先生も含めて、放射性同位体を使って研究したり医療行為をしている。そういう研究者は多い。同じ放射能でも原子力の話(核燃料)はそれより桁外れに高レベルで、世間の関心事は放射性同位体による低レベルの被曝。この2つの世界は関わる法律も省庁も違う。核燃料の研究者より、私たちのような放射性同位体を使う研究者の方がずっと多いが、そういう研究者の多くは正確なデータを持っていないので発言していない。放射性同位体のことは、電力会社から研究費をもらっていない研究者の方がよく知っているのではないかと思うが、発言しない。だから、研究費の出どころ、研究の確かさは関係ないと思う。そもそも、人体中の40Kからγ線が出ている。人が存在するだけで体のKの0.0117%が40Kだから、私の体重から計算すると4000Bqほど。「野菜から摂取するから」というより、野菜は食べようが食べまいが、ヒトの体のカリウムには一定の割合で40Kがある。
    • ベクレル(Bq放射線をだす頻度)とシーベルト(Sv体への影響)の関係は→計算式がある。生物への影響を考慮した数値がシーベルト。崩壊して、それを測定器で検知する1秒間の回数がベクレル。セシウム-137の経口摂取でBq(ベクレル)をmSv(ミリシーベルト)に直すには1.3×10の-5乗倍するとよい。7万Bqが1mSvくらい。
    • 私は自分のレントゲン検査で何mSvだったか教えてもらったことがある。外から受けるものは嫌だが、自分から選んだものはいいと思うのは海外も同じだろうか、日本は原爆、ヒ素ミルク、公害などで科学不信なのだろうか→メディアは科学的でなくても、苦しんでいる側に必ず立つものだと思う。
    • 海外で受容できるリスクの調査があり、薬害は許せないが、自ら選ぶものはよいというのがあった。
    • 化石燃料の輸入を科学的に無駄だと思うか、安心料として納得するか。BSEの全頭検査も同じだと思う。
    • 友人の放射線技師から、医療現場ではキロベクレルという単位を使うのに、何千ベクレルという単位を使うのは、数値を大きくみせて不安を煽っているのではないかといわれた。
    • 実験ではメガベクレルも使うが、食品は低いからベクレルをつかう。私の体重から放射性カリウムの量を計算すると、私は4000ベクレルの放射性物質を体内に持っていることになる。 
    • 1000ベクレルには、特に思惑はないと思う。メディアは政府の発表にあわせた単位を使うのが普通。
    • 体液でも、血液は汗と同じくナトリウムが主体だが(血管は細胞からみると体外)、細胞内ではカリウムが主体。植物細胞内では液胞が大きい割合をしめていてカリウムが多く含まれている。だから、野菜を摂取するとカリウムを多く取り込むことになる。セシウムはカリウムと性質と挙動が似ているので、カリウム-40とセシウム-137の内部被曝がよく比較される。天然のカリウム-40から出るβ線のエネルギーはかなり高い。セシウム-137のβ線のエネルギーはそれより低いが、体内に滞留する時間がカリウムより少し長い。
    • 「放射能の強さ」は1秒間に何回放射性崩壊するかで表す。カリウム-40のような天然の放射性物質とは、地球誕生以来崩壊し続けてもまだ残っている長寿命のもので、稀に崩壊するから放射能は低い。人工放射性物質の多くは短寿命で短時間に崩壊するから放射能が高い、そこで天然放射能は安全だが人工放射能は恐いという誤解が生まれる。ただこれは同じ量を比較した時の話。実際には人体のカリウムは約140gと膨大だから、そのうち放射性のK-40だけでも10mg以上ある。一方、セシウム-137の存在量は少なすぎて直接測定できない。崩壊頻度(放射能)に存在量を掛け算したものが生物に影響するので、結局、新しい食品基準では、食品中のセシウムのγ線とβ線と、我々の肉体から自然に出ているカリウムのγ線とβ線とを同等か、それ以下にすることを要求していることになる。
    • 国会の事故調査委員会の報告を海外のメディアが批判した。日本人気質や文化が背景にあるとしたことに対して、本質をついていないというものだった→事故に対して、海外のメディアは、専門家が動かず、素人が連絡 政治家が現場にいって支持したのはおかしいといったものはあった。
    • 専門家が出なかったのには、責任をとる自信がなかったのではないかという気がする。それで政治家任せにしたのだとしたら、学者が「自分たちは権威が与えられていなかったから」とする「免責」はおかしいと思う。
    • 原発は事故がないのが前提で進めてきたのだから、今回、行政にリスク管理を問うのはおかしいのではないか。
    • 東電は普段から、どこまでリスク管理をしていたのだろうかと思う。工場などの現場でも、日々リスク管理をしているのに→事故調査委員会の報告書作成において、日本の組織は批判を取り入れていくのが下手だと思った。安全委員会がちゃんと機能していたかは問うていいと思う。
    • 事故調査委員会の報告書で、黒川委員長が背景に日本の文化があると言ったのが、海外メディアに批判された。失敗学的な考え方はいいが、文化とした点を問題視されたのではないか。
    • 菅さんと枝野さんが視察したのを海外では専門家でもない政治家が何をするのかと批判された。
    • 個人的には専門家ではなくても、組織として現場に行ったのは不適切ではないと思う。