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バイオカフェレポート「身近な遺伝子検査」

 2013年6月21日、茅場町サン茶房で個人遺伝情報取扱協議会と共催でバイオカフェを開きました。お話は東京大学医科学研究所 教授 武藤香織さんによる「身近な遺伝子検査」でした。遺伝子検査には、難しいがんを確定するような病院で受ける遺伝子検査から、インターネットで購入できる体質や将来の健康を予測するような遺伝子検査まで、いろいろな検査ができています。私たちは、どう関わればいいのでしょうか。遺伝子検査の具体的な目的と種類をわかりやすく分類して、お話しいただきました。
 はじめに、水野美香さんと堀子孝英さんによるクラリネットとオーボエの演奏があり、異なるリードのついたふたつの木管楽器について説明もありました。

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水野美香さんと堀子孝英さん この春、教授に就任された武藤香織さんにお祝いと応援の花束贈呈

お話のおもな内容

自己紹介
 大学3年生のときに、誤診とはいえ、いきなりがんの告知を受けたことをきっかけに、文系の人間がどうやって医療倫理や生命倫理の問題に関われるかを考えるようになり、大学院に進学。医科学研究所では唯一の文系研究室として、生命科学や医学の成果にともなう倫理的法的社会的問題の解決方法を考えたり、研究に参加してくださる方々への配慮について考えたりする仕事をしている。
 
ヒトのゲノムとは
 ヒトの体の全遺伝情報のかたまりをゲノムという。ヒトは23対46本の染色体を持っていて、両親からもらっている。ゲノムの中でタンパク質をつくる「意味のある部分」を遺伝子という。ゲノムには、遺伝子でない部分、意味のわからない部分もある。ヒトのゲノムは30億文字対ある。
 
ヒトゲノムの解読
1953年 二重らせん構造が発見され、ワトソン、クリックはノーベル賞を受賞。
1977年 サンガーがゲノム配列を解読する方法を発明。
2000年 ゲノム解読のドラフトが出て、2003年には解読が終了した。世界中の研究者が協力して90年から13年間でヒトのゲノム配列がわかったが、これは複数の人の試料から動物種としての「ヒト」のゲノムを明らかにした事業であったが、今は一人の個人のゲノム配列が数日でわかるようになった。
 
遺伝子検査について
(1) 確定診断
 医療の中で重要なのが、難しい病気の診断をするための遺伝子検査で、これを確定診断という。遺伝子まで調べないと種類が確定できないような難しいがんや遺伝病の診断などが中心になっている。確定診断することによって、最適な治療法を選べる場合もあるが、病名を確定しても治療法がないときもある。
 
(2) 発症前診断
 今のところ病気になっていない健康そうな人が対象で、将来になる可能性が高い病気について知る検査のこと。わかりやすい例としては、女優のアンジェリーナ・ジョリーが、「私の医療の選択」という手記をニューヨークタイムス紙に掲載した事例がある。彼女は、母とおばを乳がんで亡くしており、遺伝子検査を受けて、乳房の予防的切除をしたことを告白した。見つかったのは、BRCA1という家族性の乳がん、卵巣がんに関係する遺伝子で、一生のなかで乳がんになる可能性が87%、卵巣がんは50%という結果がでたとのこと。
 発症前診断には2つの問題がある。1つは経済的な問題。発症前診断の対象は健康な人だから、健康保険やがん保険は使えない。現在のところ、検査も手術も、乳房再建手術も自費診療となっている。このような発症前検査とその後の予防的な治療の費用について、公的な財政支援をするかどうかは、これからの問題。
 もう一つは、知る権利と知らないでいる権利の問題。1980年代から90年代にかけて、アメリカのマスコミは、発症前診断を積極的に受けるべきだという主張をしていた。しかし、ハンチントン病の当事者であるナンシー・ウェクスラーさんが「(遺伝子検査の結果を)知らないでいる権利」があると主張し、遺伝子検査を受けるかどうか、受けたとしてもその結果を知るかどうかは自分で決めるべきだと述べた。遺伝子検査を受けるかどうかを自分で決めるには、遺伝病の家系であるという事実を知らないと話にならない。ジョリーさんは、家族が次々とがんになることで自ら不安になり、自発的に遺伝子検査を受けたが、病気の種類によっては、必ずしも病名が家族の中で共有されない場合もある。遺伝病の家系であるという情報を親から子へ伝えるには、それぞれタイミングもあるはず。ジョリーさんは、まだ幼い実の娘に、どう説明したのだろうか。ジョリーさんは「公人」だとしても娘は「私人」。世界中の人が知っていていいのだろうかという気もする。しかし、ジョリーさんが堂々と新聞に投稿できた背景に、アメリカには遺伝情報差別禁止法(個人の同意なく遺伝情報を収集したり利用したりすることを禁止)があるという事情もあるのではないか。
 
(3) 一般市民が購入できる遺伝子検査
 肥満、禿げやすさ、加齢の度合などを調べられるという遺伝子検査を体質検査と呼ぶ。日本ではコンビニやインターネットで簡単に買える。綿棒で口内の細胞をぬぐいとって郵送し、国内外の解析施設で調べ、結果報告書が送られてくる仕組み。なかには、体質だけでなく、がんや糖尿病などの検査も行っている場合がある。
 また、才能や性格の遺伝子検査も販売されているが、消費者は科学的根拠が十分とはいえないことや、未成年の子どもに無断で実施してよいのかどうかといった問題をよく理解した上で購入を検討すべきだろう。
 海外では、直接消費者が購入できるような遺伝子検査のあり方に警鐘を鳴らしている国が多い。韓国のように、法律で禁止している国もある。日本は経済産業省が新しいビジネスとみなして、業界の自主規制を見守っているところ。日本の学会は、科学的な根拠の薄さや倫理的な妥当性、検査後のケアが不十分という観点から、遺伝子検査ビジネスには批判的だが、医療の既得権益を守りたいだけではないかという批判や、自分の遺伝情報を自分で知って何が悪いのかという意見や、何が被害なのかが明らかではないという反論もある。また、このような検査を通じて、健康や遺伝子検査を身近に考えるきっかけだという人もいる。
 
(4) その他の遺伝子検査・ゲノム解析
 最も新しく話題になっている検査として、母親の血液中から胎児のDNAを取り出して調べる検査、くすりとの相性をみる検査などがある。
 また、今日は詳しく触れないが、妊娠中に行う親子鑑定、食の安全にかかわる検査、個人の全てのゲノム配列を調べる解析などもあり、遺伝子検査やゲノム解析は、医療のなかで行われていると同時に、医療から遠のいている一面もある。
 
多様な遺伝子検査のまとめ
 試料の採取・保存方法が簡便になり、誰でも採取・常温保存できるようになると、身体への負担は減り、家庭でもできるようになる。しかし、遺伝子やゲノムに関する知識が十分でないなかで、事後の影響がどのようなものかがわかっておらず、急激に普及するのが心配。また、医療機関に行かないで調べられるようになると、遺伝情報が悪用されないか、差別されないかという新たな不安も生じている。
 
海外の状況
 遺伝情報による差別禁止に関する法律が、アメリカや韓国にはある。イギリスは本人の同意なしに、毛髪、体液などを採取したら、窃盗扱いとなる。日本には法的な規制が不十分で、個人情報保護法とこれに関するガイドラインしかない。
 アメリカの遺伝情報差別禁止法は、何度も廃案にされてきましたが、ジョージ・W・ブッシュ政権末期に成立した。医療保険加入時や就職・転職で遺伝子検査の結果を提出しなくていいことが法律で守られたことになる。ブッシュの置き土産といわれている。
 日本ではどのような制度設計にするのがいいのか?国民的議論に高めないといけないと思う。
 
今後の課題
 機器の自動化や精度の高度化で、数日でひとりのゲノムをかなり正確に読めるようになった。今後も、さらに解析機器が小さくなり、さらなる自動化が進むらしい。そうなると、例えば、ヒトゲノム配列を明らかにしようとする人に免許はいらないのだろうかという気分になる。
 また、解析費用もより安価になり、遺伝情報の理解も深まり、かなり複雑な知識として増えていくだろう。そうすれば、全配列を読んでいろんな病気や特性に関する推測ができるようにもなる。例えば、あるがん患者さんを調べたら、他の病気の可能性や、特別な性格もわかってしまったとき、それを本人に伝えるべきかどうか。全部読めることによって生じる新しい問題として、偶然の発見への対処方法をどうするのか、という問題がある。読まれた情報をだれが管理するのか。多くのことが一度にわかってしまうとどうなるのか。
 最後に、これはセサミストリートの蛙の「カーミットくん」の絵。カーミットくんのレントゲン写真を見たら、人の手の骨が見えたので、医者がカーミットくんに「これから伝えることはカーミット君の人生を変えるかもしれませんが、聞く覚悟はありますか」と言っている場面です。カーミットくんは、たぶんその事実を薄々知っていたと思うが、私たちは、自分が知らないことを知らされたいかどうかを自分で決めたり、やがて知らされることが当たり前になったりする時代を生きていくということになる。


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会場風景1 会場風景2

話し合い 
  • は参加者、→はスピーカーの発言

    • 母親の血液でダウン症がわかるのはなぜ→それまでも母親の血液で染色体異常を推測できる検査があったが(母胎血清マーカー検査)、今回話題になっているのは、母体の血液に混ざっているごく微量の胎児のDNAを用いて、直接確認する検査方法のこと。通常は2本の染色体が3本(トリソミー)になっているところを見つけることができる。21番、18番、13番の3か所で見つかる。日本では臨床研究として開始され、対象は35歳以上でリスクが高めの人。10-20代で初産は対象外となっている。21万円程度の自己負担を支払う必要がある。4月に実施状況が発表されたばかり。
    • 診断結果により中絶できるのか→日本では堕胎罪があり、中絶を女性の権利として保護しているわけではない。しかし、母体保護法では、レイプによる妊娠や、母体に健康上の影響があるときには、指定医が中絶することを認めている。法改正を望む声などもある。
    • 海外ではどうか→中絶に対する考え方は様々だが、女性の権利として胎児の障害を理由とした中絶を認めている国、胎児に障害があるかどうかを事前に確認することを勧める国もあれば、中絶の実施そのものを厳しく制限している国もある。
    • 専門家は自ら遺伝子検査を受けているのか→人によると思うが、受けている人も知っている。私自身は、いくつかの検査を申し込んでいるところ。その結果をみてどう感じるか、体験してみたい。もちろん、情報管理がいい加減だからといって受けない人もいる。
    • 知的動機で受ける人が検査を受けるのまで、規制すべきかどうか→まだ事例が積み重なっていないが、知的好奇心から通信販売の検査を受けた人が、結果をみて衝撃を受けて、医療機関の遺伝カウンセリングに駆け込んでいる事例が増えている。規制の方法は難しいが、簡便に見えて簡単なことではないということはもっと理解して頂く必要がある。
    • 病気には環境要因にあるから、私は遺伝子検査をうけても平気だと思う。
    • 結果が%で届くから、動揺するのだと思う。将来は%表示から具体的な生活習慣への指示などになるのだろうか→確率との付き合い方が日本人は下手だという指摘もある。手術や投薬の副作用に関しても、雨が降るかどうかも、確率で表示される。確率の解釈は自身で責任をもって判断していくことになると思う。今後の研究の進展に応じて確率は変動し、母集団が増えると確率はより正確になっていく。しばらく続くこの不安定な状況に慣れていけば、上手につきあるようになるかもしれない。
    • 遺伝子配列は一生変わらないから、診断は1回だけ。降水確率のように理解するのは難しいのではないか
    • 倫理問題は解決するか。
    • 話し合いの記録を残していくことしか倫理的配慮の証はないと思う
    • もっと考えて話しあうことが大事だと思う。
    • 市販されている遺伝子検査の科学的根拠はありそうか。うさんくさいものとそうでないものの見分け方はあるか→科学者が求める科学的根拠の水準は高い。科学者が満足するには、あらゆる民族で一世代追跡してみないとわからない。科学者も市民も、それぞれが「おおよそ」という状態をどこまで許せるのかを考える必要がある。たとえば、30人を対象に一時点で検証したデータ、3万人を対象に10年間追跡したデータ、30万人を死ぬまで追跡したデータ、どれが信用できるだろうか。そういう情報は、商品購入時にはわからないので、そこも公開したうえで消費者が決めるべきではないか。
    • 食品企業で作業員の毛髪のDNA登録は、生命倫理的にどうか