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  • TTCバイオカフェ「神秘の生き物カブトガニがもたらすイノベーション」

    2020年2月14日 東京テクニカルカレッジでバイオカフェを開きました。お話はLPSコンサルティング事務所 代表 田村弘志さんによる「神秘の生き物カブトガニがもたらすイノベーション」でした。
    初めにSiel東京室内楽団(フルート 鈴木里佳、オーボエ 佐久間早苗、クラリネット 水野美香、ホルン 伊勢久視、ファゴット 榎戸絢子)による木管五重奏が行われました。バレンタインデーにふさわしく、演奏はエルガーの「愛の挨拶」などが演奏されました。

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    田村弘志さん

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    Siel東京室内楽団の皆さん

    主なお話の内容

    生きた化石 カブトガニの不思議

    私は、1978年に都内の製薬企業に就職し、配属先の研究所でラット疾患モデルを用いた医薬品候補物質の探索研究に追われていた。そんな折、諸事情により突然、プロジェクト中止を余儀なくされ、一年かそこらでいきなり企業人ならではの試練を味わうこととなった。しかし、そこで待ち受けていたものは、なんとも奇妙な生物、カブトガニとの出会いであった。
    当時、カブトガニの血液が細菌内毒素(エンドトキシン)の存在下でゲル化することは知られており、注射薬の品質管理に用いられていたが、その検出法は定性的であり、製薬業界から高感度かつ定量的に測定する方法が強く求められていた。私たちは社運をかけてその開発を託されたわけだが、山形県出身の私にとってもカブトガニは見たこともない神秘の生物だった。そこで、当時筑波大の教授で下田臨海実験所で研究されていたカブトガニの第一人者、今は亡き関口晃先生を訪ね、実際の姿を見せていただいた。その圧倒的な存在感は今でも脳裏に焼き付いている。
    脊椎動物の哺乳類は4500種なのに、分類学上、名前が記載されている無脊髄動物はおよそ300万種。その中の100万種を超える昆虫など節足動物の中にカブトガニは含まれる。しかし、共通の機能を持つ遺伝子を見ると昆虫のショウジョウバエとヒトのDNAは60%似ていて、意外と近い。また、ホモサピエンスの誕生は20万年前だが、カブトガニの最古の化石は4億5000万年前にさかのぼり、現在のカブトガニの祖先は中生代ジュラ紀の1億年前くらい。その頃繁栄をきわめた恐竜が絶滅した後でも姿形を変えずにずっと生き延びてきた。卵の中でも脱皮し、孵化した後のカブトガニは脱皮を繰り返して大きくなる。10年以上をかけ、オスは通常14回脱皮して15齢で、メスは15回、16齢で成体になる。世界の分布をみると、米国東海岸のアメリカカブトガニやアジア産のカブトガニなど4種。日本にもかつては瀬戸内海と北九州に数多く生息していたが、現在は限られた地域でしか見ることができず笠岡の生江浜は、天然記念物。絶滅危惧種1類指定として保護運動も進められている。また、カブトガニのいないヨーロッパでたくさん化石が発見されており、大陸移動から説明している専門家もいる。雄と雌の違いは、雄は比較的小さく、甲羅の前部分にへこみがあり、産卵時にメスにしがみつきやすくなっている。雌をしっかりとつかめるよう雄には鉤状の歩脚も備わっており、形態的にも実にうまくできている。
    驚くべきことに、カブトガニの目は背側、腹側、尾(光受容体)と10個もある。前面真ん中の大きい目は約400個の個眼が集まった複眼。
    5月から6月にかけて大潮にのって浅瀬に来て産卵する。浅瀬は水が温まりやすくここで卵が育つ。カブトガニの夫婦はつがいで行動する。これに対してアメリカカブトガニは一妻多夫で、クラスターになって波打ち際にやってくる。
    米国魚類野生生物局では、カブトガニに標識タグをつけて生態を調べているが、海中での行動が謎に包まれてわからない部分もある。また、毎年北極から南米まで行き来する渡り鳥が、移動の途中でカブトガニの卵を食べて栄養補給をすることが知られているが、渡り鳥の目立った減少が乱獲によってカブトガニの個体数が減ってきているためと警鐘を鳴らす記事も多い。ウナギや巻貝の養殖用に餌として捕獲されるだけでなく、血液のみを利用する場合にも個体数減少に影響しているとの指摘もあるが、後者は血液を採取してから再び海に戻すため影響が少ない。今は、各州の捕獲規制や保護運動により減少にある程度歯止めがかかっているものの国際自然保護連合による危急種、vulnerable speciesとして今後もその動向に注意が払われている。

    青い血液のもつ脅威の生体防御能

    1950年代、フレデリック・バング博士とジャック・レビン博士がエンドトキシンによってカブトガニの青い血液が凝固することを発見。ビブリオ感染で死んだカブトガニの血液が固まっていることを見逃さなかった、まさにセレンディピティがもたらした珠玉の産物ともいえるものだった。エンドトキシンとはグラム陰性菌の細胞壁をつくる多糖類(リポポリサッカライド;LPS)で、極微量でも生物の血液に入ると発熱などの生理活性・毒性をもたらす物質。一方、注射薬にエンドトキシンが混入すると、人体に危険なので微量のエンドトキシンを素早く見つけ出す方法は面倒なウサギ発熱性試験に代わり得る簡便法として大変注目されていた。
    今日では、カブトガニの血液抽出成分(ライセート:Limulus Amebocyte Lysate(LAL))が凝固するかどうかを調べて、医薬品や医療機器にエンドトキシンが混入されていないか、それらの品質を調べる試験「リムルステスト」が汎用されている。リムルステストの生みの親ともいえるレビンは、2019年に栄えあるゴールデン・グース賞を受賞。これは、社会に大きな利益をもたらした業績に対して贈られるもの。オワンクラゲ由来の緑色蛍光タンパク質の発見者で2008年にノーベル賞に輝いた下村脩博士も2012年に同賞を受賞している。
    その後、リムルステストは、Assoiates of Cape Cod(ACC)社の創業者、スタンレー・ワトソン博士により世界で最初にFDAのライセンスを取得(1977年)。当初、自宅のガレージで採血を試み、その後の起業に導いたのは、まさにベンチャー魂の源泉といってもよい。本試験はウサギ発熱試験と良好な相関性を示したことから、パイロジェン試験の代替法として大きな飛躍を遂げることになった。
    エンドトキシンの微量検出はきわめて巧妙な仕組みのもとに成り立っている。ライセート(LAL)中のC因子が、エンドトキシンにより活性化され、活性型C因子がB因子を活性化。最終的にタンパク質の凝固反応が進む。これは、滝の水が流れ落ちるように、次々と反応が進行してゆく様から「カスケード反応」と呼ばれ、増幅機構として大変都合がよい。私たちが世界に先駆けて開発したプラットフォームは、この増幅機構に合成基質という画期的なツールを導入することにより、さらに高感度で特異的な次世代型試験法へのグローバルな展開を可能とし、その後の事業を大きく発展させる原動力となった。医薬品の製造や品質管理だけでなく標準化や臨床応用もふくむイノベーションの土台をつくったともいえる。
    さらに、研究を進める過程で、真菌細胞壁の構成成分である(1→3)-β-D-グルカン(βグルカン)がエンドトキシンと同様にLALを活性化することがわかってきた。これは後に日本発の革新的な深在性真菌症診断薬の開発に結び付くことになる。いままで述べてきた先進的な測定系は九大の岩永貞明名誉教授らが解明したカブトガニの生体防御系を利用した増幅系であり、カブトガニ以外の無脊椎動物も獲得免疫に代わる類似の防御システムを持っている。外来微生物の侵入とともに貪食やゲル、ノジュール形成を通し、感染微生物を包囲化、殺菌することができる。カイコのメラニン形成を利用するペプチドグリカン測定系も開発されたが、生物由来原料の採取量という観点からみれば、カイコとカブトガニは比べるまでもない。カブトガニの血管は開放系なので1匹から300-400ml取っても生命に別状はないが、カイコからはせいぜい数百μL程度である。とはいえ、捕獲するカブトガニは年間50~60万匹に達するため、貴重な生物資源を保護する意味でも遺伝子組換えによるリコンビナント製品の開発は重要だった。これまで、次世代LALの創製を目指し多くのチャレンジを試みてきた結果、現在は、天然のLALに匹敵する製品の開発、上市に成功している。

    セレンディピティとイノベーション

    これまでの、カブトガニとの遭遇、カブトガニをめぐる研究の過程で出会った人々、得られた情報の積み重ねを思い返すたびに「セレンディピティ」ということばが頭から離れない。セレンディピティ(serendipity)とは、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを 発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを 偶然見つけること」という意味だそうだ。大切なことはセレンディピティを呼び込むことだと思う。そのためには、「しなければならない」ではなく「やりたい」という純粋な熱意(パッション)を持ち続けることが重要だと思う。そして、セレンデイピティとは、何かに向かって懸命に歩んでいる人には何かを引き起こすものだと私は思う。カブトガニに限らず、海洋生物には、まだまだ知られていない未知の能力、大いなる可能性を秘めた多くのシーズが集積されており、誰にでも素晴らしい体験への扉が開かれている。

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    大藤道衛さんによるサイエンスカフェのあゆみ

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    会場風景

    話し合い

    • カブトガニは資源として大事なのではないか
      →日本でカブトガニは絶滅危惧種のひとつ。北九州や瀬戸内海にいるがおよそ2,000つがいと産業利用できる数には到底及ばない。アメリカではLAL原料として年間60万匹ほど捕獲されているが、貴重な生物資源の保護、LAL試薬の安定供給を図るため、遺伝子組換え製品の開発、公定法収載も進められている。
    • カブトガニ養殖事業をすべきだと思うか
      →養殖ではないが、カブトガニの血球を培養し、増殖させることができれば有望なアプローチになり得る。とはいえ、仮にグレース昆虫培地で25度程度で培養できても一定の品質を大量に調製するのは難しい。
    • 細菌の持っているエンドトキシン(毒素)が混入しているかどうかをカブトガニの血液で検出することが、研究の主目的か
      →当初はエンドトキシン検出に注力。その後、血中βグルカンが深在性真菌症の診断指標として有用であることを初めて見出し、両者が対象となった。
    • カブトガニは開放血管系か
      →そうです。
    • カブトガニは個体によって活性に違いはないのか
      →個体差はある。季節や生息環境によっても変化。各個体毎の血液を混ぜて均質化している。
    • 採血されたカブトガニはどのくらいで戻るのか。すぐにまた採血されていないのか
      →調査にはそれなりの個体数が必要で、どのくらいの期間で戻るのか実際のところはわからない。量的には1年以内で戻るとの報告もある。採血した個体には穿刺した跡が残るので、同一個体かすぐにわかる。
    • カブトガニの好きな環境は
      →カブトガニは満潮時の上げ潮にのって内湾の奥まできて砂のなかに産卵、卵はそこで温められる。水はけが良い砂浜と広い干潟、浅瀬が好き。近くに川があり河口から流れでる栄養分も重要。そういう生息に必要な環境を守る取り組みも進められている。
    • カブトガニは採血して、その2割死ぬというデータがあったが
      →20%は高すぎる。バイアスがかかっている可能性もあり、実際は5~6%程度と主張する専門家もいる。
    • がんの診断薬と抗がん剤は1:1に対応するコンパニオン診断薬だが、βグルカンと抗真菌薬はコンパニオンとは言えないのではないか
      →血液疾患やがん、骨髄移植など免疫能が低下した患者さんは深在性真菌症に罹患しやすく早期に治療しないと死亡率も高くなる。血中βグルカンを指標としてできるだけ早く適切な抗菌薬を投与するというスキームが重要。厳密な意味でコンパニオン診断薬とは言えないが、コンセプトは同様である。
    • セレンディピティを意識したのはどんなとき→これまで何度かあった。
      一例を挙げると、LALの無菌濾過法を検討中、ある条件で凝固因子が選択的に膜に吸着。まったく予期せぬ偶然の出来事で、製法の大きなブレークスルーにつながった。
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