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  • 「くらしとバイオプラザ21総会講演会「事故から10年、食品規制値をめぐる混乱を振り返る~朝日新聞の言論サイト『論座』の寄稿を題材に」

    2021年5月13日、オンラインで標記講演会を行いました。スピーカーは朝日新聞 科学コーディネーター 高橋真理子さんでした。高橋さんは現在、『論座』の科学・環境ジャンルの筆者兼編集者として広い視点に立ったさまざまな問題提起、情報発信を行っています。10年前の震災当時のことから、3月27日に掲載されたご自身の記事「事故から10年たって考える食品規制値」までを振り返ってお話しいただきました。

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    画面越しに語る高橋真理子さん

    10年前を思い出して

    2011年3月11日、東日本大震災が起きた。12日には東京電力福島第一原子力発電所1号機で水素爆発が起こった。事故後、最初に『論座』に書いた記事が3月14日の「公開情報で放射能汚染を監視しよう」だった。放射能は見えないが、測定はできる。公開されているデータも多いのだから、落ち着いてデータをみてみようと書いた。
    16日には、「福島第1原発で何が起きているのか」を掲載した。14日、3号機で水素爆発が起こり、2号機の圧力抑制室が壊れた。15日には定期点検中だった4号機で爆発と火災が発生し、大気中の放射性物質が一気に増えた。
    17日には自衛隊がヘリで空から水をかけるというオペレーションがあり、これについての防衛相の説明の仕方に注文をつける記事を同日に公開した。26日には「放射線防護の基本的な考え方とは」のタイトルで解説記事を載せ、4月15日には福島事故の重大性の尺度が「レベル7」と判定されたことについて解説した。
    ちょうどこの年4月から朝日グループの「朝日ニュースター」という24時間放送のテレビチャンネルで、私が司会を務める科学トーク番組「科学朝日」が始まった。初回ゲストは元原子力安全委員会委員の住田健二大阪大学名誉教授で、「福島原発事故と原子力エネルギー」について語っていただいた。その書きおこし記事を『論座』で4月17日に公開した。

    気になった出来事

    秋になって、「あまりにヘンです。武田邦彦先生」という記事を書いた。中部大学の武田邦彦教授が、関西のテレビ番組で「こどもの健康のために福島野菜は危険だから、廃棄せよ」と発言し、それに岩手県一関市長が抗議した一件を取り上げた。武田氏は「放射性物質は青酸カリと同じ位危険」だといい、その理由を「放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度」と計算して「青酸カリの方が2000倍ほど毒性が低い」と市長への回答メールで説明した。計算の仕方、考え方が間違っており、今ならファクトチェックされて「間違い」と判定されるところだろう。
    12月には「NHK『あさイチ』騒動にみる放射能測定の難しさ」を書いた。NHKの朝の番組「あさイチ」が10月17日に放映した「日本列島・食卓まるごと調査」というコーナーでの放射能測定の結果が間違っていて、11月24日に番組内で謝罪があった。12月15日に検証結果が放映される前のタイミングで記事を出した。NHKが招いた専門家でも間違えるという、放射能測定がいかに難しいかを痛感させる象徴的な出来事だったと思う。
    このような出来事が次々と起こっており、2011年は社会全体が混乱の渦の中にあったといえる。

    放射性物質の基準はどうつくられたか

    それでは、食品の放射性物質(放射能)に関する規制について振り返ってみたい。
    福島事故が起きたとき、日本には「規制値」はなく、あったのは原子力安全委員会が策定した「指標値」のみだった。
    3月17日、厚労省は指標値を参照して「暫定規制値」を決めた。これは「集団内の代表的個人」が年間に受ける線量が5ミリシーベルトを超えないことを目標とし、食品に対して許容される放射性セシウムは1kgにつき500ベクレルする、というものだった。
    これは「暫定」なので、そうではない、新しい規制値をつくる議論が10月末から厚生労働省薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会放射性物質対策部会で始まり、「年間線量を1ミリシーベルト以下、一般食品は1kgにつき100ベクレルまで」とする新しい「基準値」が2012年4月1日から適用された。

    震災10年目に

    朝日新聞2020年8月20日付朝刊に、前原子力規制委員長・田中俊一氏の大きなインタビュー記事が掲載された。そこで氏は食品の基準について「国際的には、チェルノブイリなどの実態を踏まえ、1000ベクレルで十分としているのに、日本は政治に引きずられて100ベクレルに下げた。これが福島の産業の再生の大きな妨げになっている」と述べていた。
    この主張に私は違和感を持った。100ベクレルに基準値が決まったことで、国民が落ち着いたというのが私の記憶であり、「政治に引きずられた」とか「専門家の判断が政治から独立していなかった」といった話ではないのではないかと思ったからだ。
    そこで、改めて専門家や当事者に取材をし、食品規制値について勉強し直して、『論座』に「事故から10年たって考える食品の規制値」を書いた。
    10年前、新聞を読んでいるだけでは食品規制値の決め方はよくわからなかった。新聞にはスペースの制約があり、どうしても詳しいことまでは書けない。私自身、「腑に落ちない」という思いを抱えたままだった。食品の基準は1kgあたりのベクレルで示されるわけだが、これを「濃度」と表現することでぐんとイメージしやすくなることに気づいた。また、「集団内の代表的個人」についても通常の記事ではあまり説明されていなかった。これも規制値を理解するうえで大事なポイントだ。
    規制値を決めるには、まず、代表的個人が年間に受ける線量の限度を決め、その限度内に抑えるためには個々の食品の放射能の濃度がどのくらいでなければならないかを決める。その計算には、さまざまな仮定が入る。また、濃度×食べる量=放射性物質摂取量だから、食べる量が少ないものは濃度が高くても構わないことになる。この発想で策定されたのがチェルノブイリ事故のときのウクライナの基準だ。

    チェルノブイリ取材

    この基準については現地で取材したが、そのときに担当者は、「地域密着型の基準値」と胸をはっていた。私たちから見ると、とんでもなく高い数値が並んでいる。だが、事故から日数が経つにつれて数値が低くなっている。例えば牛乳に対し、事故当時はヨウ素131が3700ベクレルとされ、1か月後からは370ベクレルになり、その後対象核種がセシウム137と134となって1997年からは100ベクレルになっている。チーズやバターは事故当初は74000ベクレルだった。核種、食品の種類、時間経過で細かく変更している。
    現地に行ってわかったのだが、チェルノブイリ周辺は流通が発達しておらず、地元の物を食べるしかない。流通網が発達している日本とは状況がまるで違うのである。

    100ベクレルの意味

    田中俊一氏は、基準値が100ベクレルに決められたことを「科学の敗北」とし、規制を厳しくする割にベネフィットは小さいと主張する。しかし、私は「科学と政治の対立」ととらえるのはおかしいと思う。利害が対立するものの妥協点を見いだすのが本来の政治の役割だからだ。
    日本に暮らす大多数が納得する数字として新基準が出た。供給側も可能だと判断したから、合意できたのだ。実際、生産者のすべてが緩い基準値を求めていたわけではない。なぜならば、生産者は消費者に買って貰わなければならず、消費者が安心するならと基準を低くすることを求める生産者もいたのである。つまり、ALARA(As low as reasonably achievable)は消費者も生産者も共通していた。必要なのは当事者たちがオープンに話し合う場であり、これが不十分だったことこそが日本の反省点だと思う。

    この記事への反応をみると、

    • 「規制値」をめぐる真実を初めて知った。今日から数値や指標の見方、とらえ方も変わる。
    • 科学者が合理的に決めた数値を納得させるのが政治と行政の役割だろう。
    • 放射性セシウム以外の核種についての検証も必要。
    • 科学者の意見が割れ、それをメディアが煽っていた。科学者の中で意見が割れていたのだから、政治に負けたも何もないもんだ。

    などの意見が寄せられた。傾聴すべき意見ばかりで、嬉しく思った。

    質疑応答

    「議事録を見る限り、1ミリシーベルトには、政治色が強い」と感じた参加者も何人かいましたが、「基準値の決め方の説明が大事だった」「専門家は言い続けるべき」とする参加者もいました。一方、科学者の意見は多様で、それが消費者に影響を与えるのも事実だという発言もありました。
    「科学部の記者でもシーベルトとベクレルの関係がわかりにくかったという発言に驚いた」という声がありました。「濃度」という消費者が腑に落ちる説明の仕方が、震災当時は見つからなかったということではないでしょうか。
    高橋さんからは「100%の人に理解は求めず、それを目標にしないこと!私たちには、愚かな行いをする権利(愚行権)があり、それを互いに認め合うことが重要。メディアは煽らないようにするべき」などのことばがありました。

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